_コラム

vol.13 土砂災害に遭った広島県人からの願い

SHARE 
  • 連載一覧へ

    柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
    フリー・スポーツ・ジャーナリスト
    立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

    広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

    大雨による被害を受けた広島


    8月19日の深夜から、広島市の安佐北区、安佐南区を襲った土砂災害は、5日経った日曜日(25日)の段階で死者は50人を数え、安否不明者を含めると90人近い方が犠牲者となってしまった可能性がある。
    元々、川によって流れてきた土や砂で三角州と言われる平野部でできた街で土壌が緩いと言われている広島だが、今回の被害を受けた地域は、山間の町で、むしろ山を切り拓いて作られた町村が多いところだ。地盤の固いところもあったと思うが、調査ではその地盤の固いところも、今回一緒に流されていたという報告が上がっている。想像を超える雨、土砂のすごさだったと驚くほかはない。
    広島に生まれ育った私だが、実家は広島市の南端に近い町。高校野球では名門校として有名な広島商から歩いて15分ほどのところにある。そのため、実家は今回の被害の直接の影響は受けていないのだが、中学・高校時代の友人や親せきは、大勢住んでいる。私の姉もその一人。すでに30年以上前になるが、嫁いだ先が安佐南区だった。
    報道を受けて21日、姉に電話をしたが、つながらず、やっと話ができたのが22日の朝。聞くと、姉の家は無事だったが、30mほど先の大通りの先は、住民に避難勧告が出されているなど、周囲は壮絶で大変な状況だったという。肉親の無事は確認されたものの、まだまだ連絡のつかない友人、知人は数多くいる。姉も、仲の良い友人と連絡がつかなくて心配していると言っていた。雨
    その後も、雨が続いて、復旧作業もままならない様子がニュースなどで伝えられているが、一日も早く、元の生活が戻ることを祈る。東日本大震災の時もそうだったが、自然の猛威の前では、人がいかに無力であるかを、あらためて思い知らされたような気がする。

    今こそ、カープは勝たなければならない

    多くの人が悲しみに暮れる中、広島東洋カープは、22日からの阪神との3連戦を地元マツダスタジアムで戦った。
    結果は2勝1敗。23年ぶりの優勝に向けて、上位の巨人、阪神との差を縮め、終盤戦への厳しい優勝争いに向けて、手ごたえを感じた3連戦だったと思う。
    上記した土砂災害を受けて、この3連戦は、カネや太鼓の鳴り物による応援を止め、選手の袖には喪章がつけられた。それでも球場には多くのファンが詰めかけ、この日は、上下赤のユニフォームを身にまとった選手たちに声援を送っていた。
    このところ、ふがいない投球が続いていたエースの前田健太も、130球を超える熱投で阪神打線を0封。10勝目を飾ったが、お立ち台で語ったセリフがファンを泣かせた。
    それは、被災した方々への気持ちを慮ったものだ。被災者を思われる方からマエケンのブログに寄せられたコメントに、「被災して厳しい生活を強いられているが、カープの試合を見ることが唯一の楽しみ。勝って勇気をください。マエケンの投球に期待している」という内容のものが多かったのだという。
    自身のこのところのふがいない投球、そして広島市を襲った未曽有の災害。この3連戦でカープが、そしてマエケンが勝たなければならない理由は、いくつもあった。
    マエケンはそんな環境の中で、勝つことを使命とし、130球を超える球数にもかかわらず、最後まで投げ切った。まさに「エース」と呼ばれるにふさわしい熱投だった。
     マエケンと、この日一軍復帰最初の試合で2安打を放った松山がお立ち台で心なしか涙ぐんでいるように見えたのは、間違いではあるまい。もちろん、自分自身の復帰への思いもあったと思うが、苦しい中でも「カープの勝利が楽しみ」と言ってくれるファンに対して、責任感を果たせたという思いがそこにあったに違いない。
    振り返れば、カープは広島の復興のシンボルだった。前回のコラムにも書いたが、原爆で打ちひしがれた街に誕生したカープは、弱くても、広島の人たちの心を常に勇気づけてきた。初優勝(75年)以後、弱小カープは、セ・リーグを代表する強豪チームへと変身したが、今また、Bクラスに定住する球団に逆戻り。しかし、今年は違う。故障者が続出しても、そのほとんどを生え抜き選手たちの力だけで、チーム力を上げ、優勝に手が届こうとしている。
    その活躍が、今回の被災者の復興への力となるなら、カープは、選手たちは、より貪欲に勝利を目指すほかはない。
    自分の身内も含めて、広島にいつもの平穏な生活が戻ってくることを望んでいるが、この先、1カ月余り。その歩みを、カープの頑張りが勇気づけるということができるなら、それは素晴らしいこと。ぜひとも、そんな瞬間を見てみたい。
    身内のことだが、姉と話した電話の最後は「カープ、今日はどうじゃろうね?」だった。カープがどうのこうのと言っているときではあるまいとも思ったが、それが多くの広島の人たちの本音だと思う。カープが勝つことで復興への道のりも勇気づけられるというなら、カープの選手たちに期待することはただ一つ、勝つこと。23年ぶりの栄光である。

    バックナンバーはこちら >>

    関連記事