(写真提供・Full-Count)
■拓大紅陵で33年間監督を務めた小枝守監督を慕う
千葉黎明の中野大地監督と会うことを楽しみにしていた。2025年春の選抜高校野球に同校は初めて出場する。中野監督は7年前に他界した拓大紅陵時代の恩師・小枝守監督の教えを受け継ぐ。どのような戦いを見せるのか、甲子園の舞台で見たかった。
1月24日に出場校の選抜発表会が行われた。取材当日の午後3時。報道陣の席に置かれた学校案内に添えられた落花生の袋を手に取りながら、私は選考委員会の発表を待つ部室の緊張感を感じとっていた。千葉県八街市の特産品らしい心遣いが、この重要な瞬間に妙に印象的だった。
中野監督をはじめ、理事長やそして部員たちが固唾を飲んでインターネット配信に見入る。午後3時45分頃、「千葉黎明高等学校」の校名が読み上げられた瞬間、部室内に張り詰めていた空気が一気に解けた。選手たちの表情から安堵の色が溢れ、中野監督と山本大我主将、学校関係者が交わした固い握手には、102年分の想いが込められているように見えた。
グラウンドに移動した選手たちは、青空に向かって帽子を投げ上げ、笑顔で集合写真に収まった。春夏通じて初めての甲子園出場。その喜びを全身で表現する若者たちの姿に胸が熱くなった。
記者会見を終えた中野監督との話は、自然と恩師・小枝守氏のことへと移っていった。かつて私が取材した小枝監督の教え子である監督が、どんな野球を築き上げているのか。小枝野球といえば、手堅い守りと緻密な戦略で一点を掴み取る野球。その血脈は、確かに千葉黎明に受け継がれていると確信した。
千葉黎明の甲子園への道のりは、決して平坦ではなかった。1924年の創部以来、幾多の名選手と指導者たちが甲子園を目指して戦ってきた。中野監督が千葉黎明の指揮を執ることになったのは、2021年12月のこと。会社員から一転、母校ではない高校の監督に就任した決断の裏には、小枝イズムを受け継ぐ者としての使命感があった。
「勝ちは知るべくして、為すべからず」。約20年前、小枝監督から授かったこの言葉を、中野監督は今も大切にしている。単なる技術指導ではない。生活態度、礼儀作法、そして相手を思いやる心。それらすべてが勝利への布石となることを、選手たちに説き続けている。
昨秋の県大会では、一度は敗北を喫したものの、敗者復活戦から見事に這い上がった。関東大会では2023年選抜優勝校の山梨学院に快勝。堅実な守備と巧みな継投策で、ベスト4という快挙を成し遂げた。その戦い方には、小枝野球の血脈を感じずにはいられなかった。
「今の環境があるのは、歴代の先輩や指導者の方々のおかげです」。中野監督の言葉には、深い感謝の念と共に、新たな歴史を刻む決意が滲んでいた。関東大会での7失策という課題も、小枝イズムの真髄である基本プレーの徹底で乗り越えようとしている。
■小枝夫人から授かったハンカチをこの日もポケットに
記者会見で印象的だったのは、選手たちの表情だ。喜びに沸く中にも、どこか引き締まった空気が漂っていた。山本主将は「新しい歴史を作れて嬉しい」と語りながらも、「ここからが本当のスタート」と力強く付け加えた。
小枝氏の妻・弥生さんから託された遺品にはハンカチ、タオルとネクタイがあった。中野監督は公式戦では必ずハンカチをポケットに、タオルをベンチに置いて戦っている。甲子園出場が決まったこの日も、スーツのポケットには変わらずハンカチが収められていた。
夕暮れ時、取材を終えて校門を出る頃。手元の落花生の袋に目を留めると、八街の大地に根付いたピーナッツのように、この地で育まれた小枝イズムが、中野野球という新たな形で実を結ぼうとしているのを感じた。
春の甲子園で、中野監督は恩師から受け継いだハンカチに、どんな想いを託すのだろう。かつて小枝監督が10度も立った甲子園の土を、今度は教え子が踏む。堅実な守りと緻密な戦略で勝利を掴み取る野球。その伝統が、102年の時を経て、新たな物語を紡ぎ出そうとしている。私は再び、この千葉黎明の戦いを見届けに行くことになるだろう。その時、きっと小枝監督も、天国から温かな眼差しを向けているに違いない。
Full-Countに詳細記事があります。
https://full-count.jp/2025/01/26/post1691635/