TEXT:YUTAKA NARASAKI
(写真・ヤンキースタジアムの外観)
■ワールドシリーズで勝利…共通の偉業
去る2024年のMLBはドジャース・大谷翔平選手の悲願のワールドシリーズ制覇で幕を閉じた。年末には第一子が今年誕生することも自身のSNSで公表するなど、野球ファンの心を最後まで掴んで離さなかった。日本人選手がワールドシリーズの舞台で輝かしい功績を残すのは、これが初めてではない。約15年前の2009年、ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜氏が世界の頂上に立ち、日本人初のワールドシリーズMVPに期待した瞬間は、今も多くの野球ファンの記憶に刻まれている。
2009年のワールドシリーズは、ヤンキースとフィリーズの対戦となった。シリーズ第6戦は、ヤンキースのホームで迎えた運命の一戦。この試合で松井氏は、名投手・ペドロ・マルティネスから本塁打を放つなど、驚異の6打点を記録。1試合6打点は、ワールドシリーズ1試合記録に並ぶ偉業となった。2003年のメジャー1年目以降、苦しめられた投手の攻略は感慨深いものだった。
最後の打席を終えたとき、ヤンキースタジアムには「MVP」コールが轟いていた。応援を超えた、偉大な選手へのこだわりと賞賛が込められた忘れられない瞬間だった。松井氏は、シリーズ打率.615(13打数8安打)、2本塁打、8打点という他を圧倒する成績を残した。 特筆すべきは、指名打者としての役割を完璧にこなしたこと。敵地は指名打者制度がなかったため、出場は制限されていたが、打者としての存在感は際立っていた。
松井氏のMVP獲得は、日本人選手のメジャーリーグでの活躍に新たな扉を開いた。1995年にドジャースなどで活躍した野茂英雄投手の活躍、マリナーズなどで活躍したイチロー氏の首位打者とMVP、そして松井氏のシリーズワールドMVP…後に続く日本人選手たちに大きな勇気と希望を与えてくれた。
■15年の時を経て、始球式のマウンドに
ワールドシリーズ制覇後、FAでチームを離れることになるのだが、MVPインタビューでニューヨークやチームメートへの愛と感謝の気持ちを述べたことは今も地元ファンの心に残っている。松井氏の活躍は、個人の上の記録だけでない。培った技術と精神性を、日本の最高峰の舞台でしっかりと活躍するという戦う日本人選手の模範となり、大谷翔平を含む次世代の選手たちにも大きな影響を与えた。
その証として、大谷が出場し、その年以来の王座を狙うヤンキースと対戦した2024年のワールドシリーズでは、松井氏がヤンキースのレジェンドとして始球式のマウンドに立った。ニューヨークに舞台を移した第3戦では、長きにわたってチームの主将として活躍したデレク・ジーター、第4戦では1990年代のヤンキース王朝時代に4度の世界一に貢献したポール・オニールが登場。15年前にこの同じマウンドで世界一を決めた舞台に松井が立った瞬間は、新旧の日本人スター選手の架け橋となった。
今の小学生など野球を始めたばかりの子どもたちは、野茂氏やイチロー氏、そして松井氏らというレジェンドたちの全盛期を知らない。歴史の証人となった世代でもある私たちには、彼らの偉大さを伝え続ける使命があると勝手に感じている。
MLBで活躍した日本選手の歴史は、単純な記録ではない。 それは、勇気と情熱を持って世界に挑戦し続けた者の物語であり、次の世代へと語り継がれていかなければ貴重な遺産なのだ。現在、大谷翔平という新たな時代の主役が誕生し、メジャーリーグでの日本人選手の活躍は新たな段階を迎えている。記録と感動は、野球界の貴重な財産として、永遠に語り継がれていってほしい。
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