大学生になった元ロッテ右腕 島孝明が考える未来(インタビュー全3回) #2
■プロ野球生活は「試練」だった
――改めてですが、どんなプロ野球人生でしたか?
「今思うと、試練でしたね。入団して、壁にぶち当たって、なかなかそこから抜け出せずにいました。」
――壁というのはイップスになったこと?
「(影響は)大きかったですね。 プロに入って割とすぐに症状が出始めて、自分が経験したことのないようなところだったのですごく戸惑いとか、ストレスがたまったというのはありました。 2年目の後半ぐらいから投げられるようになりましたが、日によって球にばらつきが多くて、敵と戦うというか、自分と戦っている3年間。そんな気がしています。」
――球団内に相談は
「指導者の方にアドバイスをもらいました。メンタルトレーナーのところに助言をもらいに行ったりとかはしていました。」
――試練があったことは今、どのように捉えてるのですか?
「当時は頭が真っ白で、何をしていいかがわからないような状態でずっと過ごしていました。もう少しやれることはたくさんあったのかな、わからないなりにもがいてたというところはありました。貴重な経験ではありますし、 今大学に通っている中で、わからないことがあっても何かしら解決策があるというマインドにはなっています。」
――壁はプラスだった。
「マイナスではないと思っています。」
――2年目の後半にイップスを克服できたのは?
「自分の体をコントロールできるようになったことだと思います。自分の気持ち的にもちょっといい方向に進めたかなと思っていました。」
――克服法は練習で見つかった?
「イップスになってからは、自分の体の感覚がぼやけてしまって、すごい初歩的なことと言いますか、呼吸や軽いストレッチのようなことをして、自分の感覚を養う動作をしました。それでも時間はかかりました。昨日よりかはちょっといい感覚かなという日々の過ごし方です。」
■ロッテ・小野晋吾投手コーチが励ましてくれた
――ロッテで寄り添ってくれたコーチはいたのですか?
「その時は2軍投手コーチの小野晋吾さんがずっと付いてくださいました。」
――印象に残っている言葉はありますか?
「キャッチボールの時なのですが、どこに行くかわからないのに「どこへ行ってもいいから、自分が思うように思い切って投げてこい」という言葉が励みになっていました。」
――どこに行くかわからないという怖さみたいなものがあるのですか?
「怖さに近い感覚ですね。一球投げるのがすごく怖いし、相手に迷惑をかけるんじゃないかなという思い。そういう感情もありました。」
――小野コーチの一言は楽になりましたか?
「だんだんと楽になっていきましたね。」
――克服するまでに大きな出来事はありましたか?
「2年目のシーズン終盤にファームの試合でよく投げさせてもらって、フェニックスリーグで吉井コーチ(現ロッテ監督)が僕をクローザーに置いてくれたんです。役割ができたことで頑張れるようになった。そんな気がしました。」
――当時の吉井さんとの会話で覚えていることはありますか?
「色々話をしました。野球以外の会話をするということはなかったかもしれないです。日常的な会話をしました。当時から色々と話をさせていただいて、自分としては それはすごく嬉しかったですね。」
――高卒からプロを目指すことと大学進学後にプロを目指すこと。悩んでいる人に助言するとしたら?
「結構、難しい質問ですね。 大学でしっかり自分のトレーニングができて、自信があるんだったら、大学を卒業してプロっていうのもいいと思う。 高校からプロっていう思いがなければ 経験を積むためにも行ってそこからプロでもいいと思う。でも チャンスがあるんだったら高校からプロを目指すのもいい。やらないよりは、やって後悔する方が後に生きていくと思います。」
島孝明(しま・たかあき)
1998年6月26日生まれ。千葉・佐倉市出身。佐倉シニアから東海大市原望洋高に進学。3年夏には千葉県大会準々決勝で早川隆久(楽天)擁する木更津総合に0-1で敗戦するも、U-18日本代表に選出。2016年ドラフトでロッテから3巡目で指名。2019年オフに戦力外通告、育成契約打診を受けるも引退を決断。國學院大學へ進学。2022年WBSC「U-23ワールドカップ」の日本代表チームのクオリティコントロールスタッフを務めた。中学・高校の保健体育科の教員免許取得をし、2024年4月からは慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科への進学。右投右打。