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青島健太#2
「スポーツジャーナリストの原点 オーストラリアでは違う「引退」の定義」

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    現在は参議院議員 元プロ野球選手・青島健太 スポーツ界のためにできること(インタビュー全3回)#2
     日本維新の会・青島健太参議院議員は慶大、東芝、ヤクルトスワローズでプレーし、現役引退後はスポーツライター、キャスターに転身した。現在は政治家としての活動を行なっているが、その礎となったのがスポーツジャーナリストとして過ごした時間だった。セカンドキャリアを振り返るインタビュー第2回は『伝え手としてこだわっていたこと』について。(取材日・2023年12月1日)
     

    ■スポーツジャーナリストになったきっかけを青島健太さんに聞く

    ――第1回目のインタビューの最後では、スポーツジャーナリストになったのはオーストラリアでの経験が大きかったと伺いました。

     「そうですね。私の思っていた引退の概念、定義が違ったのです。オーストラリアの方は様々なスポーツを、年を重ねても楽しんでいます。僕がプロ野球選手を引退したと言うと『なぜ、そういう風な(リタイア・引退)という言葉を使うんだ?』という人もいました。『今度は何のスポーツをやるんだ?』と聞いてくる方もいましたね」

    ――興味深いです。ゴルフやスカッシュ、ラグビーも自転車、ヨット…オーストラリアではたくさんのスポーツが老若男女、楽しんでいる印象があります。

     「何でもあるので『何か新しいスポーツをまたこれからやればいいじゃないか』とか『何に興味があるんだ?』と当然のように聞かれるんです。私は日本では野球を引退しましたと言ってしまうのですが、向こうの人からすると、『まだ30歳を過ぎたくらいでしょう?』と。自分のやるスポーツが終わったみたいに思っていましたけど、その考え方が、全く違いました」

    ――スポーツは自分の人生を豊かにするためにやっているものだ、と?

     「オーストラリアの方はスポーツをとても熱心にやっています。それは仲間ができて、楽しいから。良い意味で体が疲れたら、ぐっすり眠ることだってできます。それで食べるご飯も美味しい。スポーツが持つ機能をふんだんに活用しています。日本のプロ野球では監督、コーチ、選手たちは、勝敗に左右される大変なビジネスですが、オーストラリアでは自分の人生を豊かにするためにスポーツがあります」

    ――そこで感じたことがあったのですか?

     「そういうスポーツを見たときに、自分のスポーツへの考えというのは、ちっぽけで、小さな世界の中にいるなと。自分はスポーツの何を見てきたのかなってオーストラリアで気付くわけです。自分が見聞きしたり、体験したりしたことを書いたりすることによって、多くの方に知ってもらいたいという気持ちになりました」

    ――そしてペンを手に取ったわけですね。

    「その方法論として何があるのかって考えたときに、スポーツライターだと思いました。当時はまだ原稿用紙にペンで文章を書いていた時代です。文房具店に行ってそれらを買えばいい。そこに想いを紡ぐわけです。それが仕事になる。設備投資は一切いらない。在庫を抱えないで済むというのが良かったのです」

    ――報じる側になって気をつけていたことは何ですか?

     「自分自身がプロスポーツをやっていたからこそ大事にしたのは、自分はそのスポーツを知らない人なんだという風に、まずは設定することです。決して素人のような立場に立ちましょうっていう意味ではなく、おごりを無くすということです。様々なアスリートの話を聞くと、その部分は野球選手が思う同じことだとか、自分の体験の中から野球とすごく紐づくこともたくさんあると感じます。それが後にだんだんわかってきたりすると、面白いのです」

    ――ライターとしても、キャスターとしても活躍されました。

     「書き手として活動の幅が広がっていく中で、いろいろなオファーが入ってきました。テレビやラジオ、雑誌に新聞…と仕事が広がって、振り返ったら30年やっていました」

    ■書いてきたことは勝敗や結果ではなく、スポーツ選手としての心理

    ――書く記事の中で意識していたことはどんなことですか?

     「例えば、巨人で活躍した松井秀喜選手が50本目のホームランを打ったとします。すごいことを事実として報じるべきではあるのですが、私には違うミッションがあると思っていました。一体、何を届けるべきなんだろうということは常に意識していました」

    ――詳しく教えてください。

    「野球を報じれば、野球ファンを拡大することに繋がる。柔道を報じることで、そのファンがもっと増えたらいいなと思うし、ゴルフのことを紹介したら、やっぱりゴルフをやる方が増えたらいいなと思います。スポーツの良さを表現するっていうことが、私のやるべき仕事。だから、その選手が素晴らしいっていうことだけではなくて、スポーツそのものが素晴らしいっていうように変換をすることに努めていました」

    ――勝った、負けた、打った、抑えたという報道は他のメディアに任せ、自分の視点で物事を伝えるのは大切なことですね。

     「スポーツ選手でも技術を言語化するのが難しい。その表現をいかにわかりやすく置き換えるかということが、大事だと思うんです。正解があるのか、ないのかはわかりませんが、1994年のリレハンメル五輪のときに、スキーのノルディック複合の荻原健司選手が金メダルのかかる試合の前に『楽しみたい』というようなことを言ったような記憶があります」

    ――緊迫した場面で「楽しむ」…その狙いとは?

    
 「アスリートが『楽しみたい』という言葉を使い出したのもこの頃からと思います。もっとローカルな大会で言っている人もいたかもわかりませんが、大きな大会、それもメディアの前では自分の記憶ではそこが最初だったかと思います。決勝戦の前に言っていたのがとても新鮮でした。あとは女子マラソンの有森裕子さんの『自分で自分を褒めてあげたい』の名言。スポーツ選手が『楽しみたい』というのは何を意味しているのかを考えました」

    ――青島さんとしては何を意味していると考えたのですか?

     「一つは緊張からの解放ですよね。リラックスとか、それを導き出すための魔法の言葉です。ここまで来たのだから、とにかく楽しくやる。その言葉に体が反応して、そのぐらいのことを言わないと緊張が解けないみたいなことでもある。方法論なんです。解説していくと、選手が『楽しみたい』というのはこういう意味ですと、あるいはこの競技において『楽しむ』ということは、こういうふうにやることだと思いますっていうことを解説するのが役目だと思っていました」

    ――アスリートだったからこその視点で物事を伝えられていた印象が強かったです。

     「勝った人だけでなく、負けにも注目していましたね。すごいしっかりとした準備があった、ないしは敗者としてグッドルーザーである、素晴らしい負け方だっていうふうに負ける方を語ることで、トータルとしてスポーツの良さを表現することになるから、私はそういうメッセージの出し方をしてきたつもりです」
    (第3回に続く)


    青島健太(あおしま・けんた)

    1958年4月7日、新潟・新潟市生まれ。埼玉・春日部高から慶大に進学。六大学野球で当時史上最多タイのシーズン6本塁打をマーク。社会人野球へ進み、東芝から1984年にドラフト外でヤクルトに入団。89年に引退後。スポーツライターやスポーツキャスターとして活躍。2006年にはセガサミー硬式野球部の初代監督に就任し、都市対抗初出場を果たした。19年には埼玉県知事選に無所属で出馬。落選したが2022年に日本維新の会から参院選比例代表で出馬し、当選を果たした。

     

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