元巨人投手がセカンドキャリアを支援 柴田章吾さんが巨人で掴めなかった1軍のチャンス
(インタビュー全3回)#2
――巨人に入ってから、どんなプロ生活だった?
「育成選手だったのでなんとかして支配下選手になろうと思って、一生懸命練習しました」
――分岐点となったのは、プロ3年目のグアム自主トレだった
「巨人入団後にも多くの選手に支えられました。育成選手時代には当時1軍で活躍していた内海哲也さん(現・巨人投手コーチ)や山口鉄也さん(現・巨人2軍投手コーチ)のグアムでの自主トレに参加させていただきました」
――報道では、費用を負担してもらい、練習を一緒に行った、と。どんなお気持ちでしたか?
「本当にすごいことが起きている…と感じました。チャンスだなと。嬉しい気持ち半分と、頑張らないといけない気持ちが半分でした。練習内容や環境が素晴らしくすごい充実した時間でした」
――迎えた初の1軍キャンプ
「自主トレを終えて、キャンプインまでとても調子が良く、3年目のシーズンは行けると思っていました。1軍練習に合流する予定もあって、とてもワクワクしていたんですが、いきなりお腹が痛くなってしまって」
――持病が悪化した?
「再発したのかなと最初は思いました。でも、隠しながらやっていかないとチャンスを手放してしまうと思って。その夜は眠れなくて、朝5時を迎えました」
――そこから病院に?
「いえ。なんとかしないといけなかったので、お腹を温めようと宿舎の大浴場で体を温めにいきました。水風呂と交代浴をしたりと体調をごまかすために色々試したのですが、激痛が収まらず大浴場で倒れてしまいました」
――倒れてしまった後のことは?
「先輩が見つけてくれて、救急車を呼んでくれました。キャンプ2日目の朝のことです。病院に行ったら、虫垂炎とのことでした。そこから腹部を切る手術をしてリハビリ期間に入ったので、野球ができるまでは時間がかかってしまいました」
――体の変化はありましたか?
「手術を受けたお腹に力が入らなくて。140キロ前後の平均速度が110キロくらいしか出なくなってしまって。もう野球人生が終わってしまうと覚悟しました」
――1軍登板はなく、その年、戦力外通告を受けている
「引退を決意する良いきっかけになったのかなと思います。もし腹痛がなく、1軍を少しでも経験することができたら、まだできたんじゃないかと思ってしまったかもしれません。この大事な時期に自分はこんな境遇になったんだったら、もう選手として活躍するのは難しいのかなと思いました」
――球団からのオファーは
「ありがたいことに、ジャイアンツアカデミーという野球振興部のお仕事をいただきました。野球を子どもたちに教える中で、これまで感覚でやっていた部分を言語化できるようになりました。小さい子に野球を教えるほど難しいことはないので」
――球団職員の仕事はいかがでしたか?
「僕は子どもが大好きなので、やりがいと楽しさはありました。ただ、自分自身、海外で働くことにとても興味があったので、語学を学んで視野を広げたいという思いもありましたね」
――就職活動を始めた?
「当時は前例がありませんでしたが、自ら外資系総合コンサルティング会社へ応募し、働くチャンスを得ました。そこで様々なことを学んで、独立して、今があります」
(第3回に続く)
プロフィール
柴田章吾(しばた・しょうご)
1989年4月13日、三重県生まれ。中学3年の4月から国指定の難病、慢性疾患「ベーチェット病」の闘いながらも愛工大名電で甲子園出場。マウンドにも立った。明大から2011年育成ドラフト3位で巨人に入団。支配下登録を目指すも2014年2月の宮崎キャンプ中に虫垂炎を発症。1軍登板はなく、同年で現役引退。ジャイアンツアカデミーのコーチとして野球振興に携わり、経営者としても活躍中。