「大谷の復活は、速球がバロメーター」
アメリカでもメジャーリーグが始まった。
各チーム60試合と日本のプロ野球(各チーム120試合)の半分の試合数だが、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない全米各地の状況を考えると、それでもよく開幕にこぎつけたといえるだろう。
そんな中で日本人選手も開幕から上々のスタートを切っている。
シンシナティー・レッズの秋山翔吾選手は、タイガース戦に代打出場し、メジャー初打席で初安打&初打点をマークした。
タンパベイ・レイズの筒香嘉智選手は、ブルージェイズ戦に3番サードで出場しデビュー戦でいきなり2ランホームランを放ち長打力を見せつけた。
開幕戦を打者で迎えたロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手も第1打席でセンター前ヒットを打ち、日米通算500本安打を記録した。
投手ではミネソタ・ツインズに移籍した前田健太投手が初勝利をあげ、シカゴ・カブスのダルビッシュ有投手やシアトル・マリナーズの菊地雄星投手、トロント・ブルージェイズの山口俊投手(1敗)らが、初登板を果たしている。
4か月遅れの開幕を考えれば、各選手が元気にスタートを切れていること自体がうれしいことだ。
頭部に打球を受けたニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手も新型コロナウイルスの陽性反応が出たマリナーズの平野佳寿投手も大事には至らず、チームに合流できるようなので安心したが、気になるのはやっぱり大谷翔平のピッチングである。
右肘の靱帯再建術(トミー・ジョン手術)を受け693日ぶりにアスレチックス戦(現地7月26日)のマウンドに復帰した大谷だったが、球数30球、被安打3、四球3、失点5、1死も取れずに降板した。
本人曰く「疲れる前に終わった」。
その感想通り、全30球のうち15球がボール球で制球に苦心している間に終わってしまった。
乱調の要因は、大きく分けて二つある。
ひとつは、新型コロナウイルスの影響からくる実戦登板不足だろう。本来ならばマイナーリーグで1か月(5~6試合)ほどの調整を経てメジャーで投げるのが定石だろう。ところがマイナーリーグも開催されていないので7月に入ってからの紅白戦3登板でのメジャー復帰となった。投げるボールが、どの球種もまだまだこなれていない印象だ。
もうひとつの要因(これが一番厄介な問題だが)は、身体が無意識のうちに肘をかばっていることだろう。
本人も「腕がいまいち振り切れていなかったなというのは、全体的にある」と自身の投球を振り返っている。
この日の最速は152キロ。
当たり前のことだが、球速は腕の振りにほぼ比例する。
速いボールを投げるピッチャーは、それだけ速く腕を振ることができているのだ。
大谷は、手術前には160キロ台を連発していた。
どこかにまだ「怖さ」があって、腕を思いっきり振ることができないのだ。
でも、それは当然のことで、大谷は誰よりも速く腕を振ることができるので、彼の身体は無意識にブレーキをかけてしまうのだ。
この不安は、実戦のマウンドで実際にボールを投げること以外で解消されることはないだろう。身体が覚えている快感(スピード)を、実戦の中で思い出す。それがいつできるのかは分からないが、少なくとも試合の中で投げ続けていく以外にかつての感覚を取り戻す手立てはない。それが数試合なのか、もっとかかるのか。
怖さが消えて、彼のピッチングに躍動感が戻ってきた時、球速は自然と「160キロ」を記録することになるだろう。
大谷の復調を見るバロメーターは、160キロ。
このスピードのボールを投げた時、本来の大谷が帰ってきたと言えるだろう。
今後、大谷を見る時は、球速に注目だ。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。