HERO'S COME BACK~あのヒーローは今~

内藤大助#3
「ボクシング界の未来」

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    #1 世界王者への第一歩#2 予期せぬバイト生活

    引退したからわかる切り開きたいボクシング界の未来 元プロボクサー・内藤大助氏の責任(インタビュー全3回)#3
    ボクシング元WBC世界フライ級チャンピオンの内藤大助さんは現役引退後、解説者やタレントとして活躍中。最近では、ボクシングの振興や自身がいじめられた体験などをテーマにして、講演やYouTubeなどで活動を行っている。ボクシングとの出会いで過去の自分を払拭し、心の強さを手に入れた内藤氏。3回目の最終回はV18を目指した王者を撃破し獲得した世界王座までの秘話と引退後の内藤氏が考える未来について。

    ■ラーメン店で修行も考えた…感動的な世界戦のリング

    2005年10月。2度目の世界戦を行いました。相手は同じタイのポンサクレックです。自分の知り合いがお金集めをしてくれたおかげで世界戦ができました。

    2度目の世界戦は後楽園ホール。7回負傷判定負けでチャンピオンにはなれませんでした。諦めも大事なので負けたら引退しようと思っていました。でも諦められなかった。また頑張ったら、3度目の世界戦のチャンスをもらったんです。

    そうしたら、また相手がポンサクレック。WBCで17連続フライ級では最長です。バケモンです。誰が勝てるかって話です。18度目の相手としてまた僕が選ばれました。2度とやりたくないと思った相手と3回も戦うことになるとは……。3度目の世界戦のリングに何とか上がらせてもらえたのも、スポンサーさんがいないとできないんです。自分の親が大金持ちだったら、ボクシングが強いと言うんだったらできるかもしれない。だけど、プロの世界はビジネスですから。

    3度目の世界戦の前のこと。僕は負けたら今度こそ、ボクシングを辞めて、都内にある自分の知り合いのラーメン屋さんで働くことをもう決めていました。その方は弟子をとらないんですけど、付き合いが長いので「内藤くんだったらいいよ」って言ってくれていました。

    その方に「ボクシングを引退する日が来ました。正式に引退が決まったので、僕に仕事させてください」って伝えました。そうしたら「働くことはいいんだけど、なぜ決まったの?」と聞かれたので「3度目の世界戦が決まったんですが、ポンサクレックが相手なので、あいつには勝てません。試合が終わったらすぐに修行をまずお願いします」って言いました。僕が世界チャンピオンなっていなかったら、今頃、行列のできるラーメン屋の店員だったと思いますよ(笑)。

    3回目の世界戦はご存知の方もいると思いますが、2007年7月18日。後楽園ホールでポンサクレックを倒すことができました。32歳と10か月。2回負けているので、研究もしました。僕は結構、石橋を叩いて渡る性格なんです。だから練習もした。少し話がずれてしまうかもしれないけど、将棋が好きなんです。詰め将棋をよくやりました。詰め将棋やボクシングも、こうやったら、あえてこう来るか、そこにこう来て、それをかわせたらこうだなとか、イメージする。やっぱり、先を読まなきゃ駄目と思ってるんです。

    世界王座を獲得することができて、いろいろと考えました。僕をインターネット上で叩く人もいましたし、「どうして、そこまで頑張るの?」「何のために頑張っているの?」ってたくさん聞かれました。僕は、自分のためだけに頑張ることができなかったんですね。頑張れた理由は応援してくれる人を喜ばせたかった。応援してくれる人がいなければ今の自分がなかったという思いでずっといましたね。

    タイトルマッチも周囲の支えがなければできなかった。僕は知っています。「すまん、諦めてくれて。金が集まらないからもう無理だ」と言われて、日本で一番強い称号を持ったままボクシングを辞めていった人を。僕も世界戦を戦うために「金を持ってこい」と言われましたけど、試合交渉してくれたジムや、お金を集めていろいろご協力してくださった皆さんのおかげで、僕は3度、世界戦のリングに立つことができました。

    本当に感謝です。アスリートって1人だけ優れてても自分だけ優れてても、成り立たない。だから僕はいろんな人のおかげでチャンピオンにならせてもらったなという思いでいます。

    今、ボクシングの人気がちょっと下がっていると思っています。また、人気向上に貢献したい。恩返ししたい。多くのボクシングジムもたたんでいる。僕はイベントに出演をさせてもらったり、事務所からのお仕事をしています。当時、現役で芸能事務所とマネジメント契約を結んだ人はいなかった。僕の後に増えたんだと思います。

    当時からそういう活動の仕方をしていましたが、セカンドキャリアを歩んでいくプロボクサーのために、どういうふうにしてあげていきたいかというと、まずはコミッショナーや協会に明確なルールを作ってもらいたいなと思います。仕事をしていいとか、報酬はどうするとか、選手のこともボクシング界のことを考えた規約を出してほしい。やっぱり、ある程度、現役のときから次のことも考えながらやっていこうよって言いたいかな。

    一生、続けていくことができないのがプロのアスリート、ましてやボクシングは選手生命が短いです。やっぱり、選手たちにはある程度、現役のときからちょっとは考えておいた方がいいのかな。そう伝えたいです。僕は何も考えてやってなかったから。

    これから、僕はジムをやっていきたいなと思っています。でも、まだいい場所が見つからなくて…。プロへの加盟は今は考えていません。僕はボクシングで人生変えてもらった。ボクシングはすごくいいスポーツだよっていうのを広めていきたいんです。例えば、僕と同じように心に何か抱えてる子とかに。あとはフィットネス、体を鍛える、痩せることとかも教えたい。障害を持つ人にも伝えたいです。

    以前、知的障害者の方にボクシングを教えたことがありました。みんな、嬉しそうに、楽しそうにやっていました。「あー!内藤さんだ!」って僕のことを知っていてくれました。それが嬉しくてね。自分は喜んでもらえるのが大好きなんです。初対面なんだけど、僕の手を“ギュッ”っと握って、頼りにしてくれた。こんな、俺を頼りにしてくれんだなと思って。

    理想だけでは、食べていけないじゃないすか。だけど、どうせだったら自分のやりたいこと、好きなことをやりたい。引退してから、そういう思いはなかったんですけど、もう2年ぐらい前から、ボクシングを教えたいって思うようになったんです。とにかく、自分を変えたいとか、やっぱ何か夢を持ってる人たちが教えたいですね。

    こんなどうしようもない自分を変えてくれたのはボクシングなんです。だから、そのボクシングの良さを教えたいし、ボクシングで人生は変われるんだよって伝えたい。僕はこれから、そういう人生を目指していきます。

    (終)

    プロフィール

    内藤 大助(ないとう だいすけ)

    1974年8月30日生まれ。北海道出身。卒業後に上京し宮田ボクシングジムに入門。1996年にプロデビューし、1998年12月に全日本フライ級新人王を獲得。2004年に日本フライ級王座を獲得。2006年には日本・東洋太平洋王座の2冠。2007年には3度目の挑戦で見事、WBC世界フライ級王座を獲得した。現役引退後はタレントや講演活動などを行っている。

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