「車いすの決闘」
何気なくテレビで見始めた試合だったが、これぞテニス、これぞスポーツという名勝負だった。
10月8日楽天ジャパンオープン(東京有明テニスの森公園)、車いす部門シングルス決勝。
すさまじい激戦を戦ったのは、東京パラリンピック金メダリスト国枝慎吾(第1シード)と小田凱人(第2シード)だった。
国枝は、誰もが知る車いすテニスのチャンピオン。38歳になる今も、世界のトップ選手として活躍を続けている。第1セットを6-3で軽く取った時には、16歳の小田を年齢同様に子どものようにあっさりとやっつけるのだろうと思った。
ところがこの16歳はそんな軟な存在ではなかった。2セット目を6-2で取り返すと、第3セットも大きくリードされた劣勢から巻き返して6-6とタイブレークに持ち込んだ。
国枝は「いつかやられる日が来るだろうなと、それがこの日かな」と、何度も敗戦が頭をよぎったと語った。
しかし、追い込まれてからの彼のテニスは、小田の必死の抵抗によって覚醒し炸裂した。
左右に振ったストロークを若い小田はスタミナ十分で拾いまくる。しびれを切らした国枝がネットに掛けたりオーバーしたり。思わぬミスが続く中で国枝が見つけた勝機は、相手のボディーへの返球だった。左右へのボールを意識した小田は、正面に来たボールを上手く打ち返せない。そこに国枝がつけ込んでボディーへのボールを連発する。
勝負を分けたのは、国枝の経験と勝負にこだわる執着心だったように感じた。
フルセット、タイブレークの末に国枝が小田を破った。
「さすが国枝」という名勝負だった。
優勝インタビューで国枝は言った。
「まだまだおじさんパワーを見せるぞと思って戦った。もう少しだけ勝たせてくれよという気持ちです」
あの劣勢から巻き返す国枝の底力は、世界王者の貫禄を十分に感じさせるものだったが、この稿で書いておきたい小田の大きな可能性だ。
試合後に泣きじゃくる小田がマイクを持つと、涙の理由は「うれしいから」と言った。
目標にしてきた国枝と互角以上の戦いができた。その成長が素直にうれしいと言うのだ。
てっきり悔し涙だと思ったので、そこは意表を突かれたが、喜びの中でプレーを続ける小田には、まだまだ伸びしろがある。
そう、国枝もその無限の可能性をもうわかっているのだ。
「すごく近い将来、世界のトップになる」と国枝は小田を評している。
これから間違いなく小田凱人の時代が来る。
その輝く未来を勝つことで教えてくれたのが国枝慎吾だった。
車いすに乗った二人の決闘のような試合だった。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。