「ヤクルト1000が品切れでも・・・」
この夏、ヤクルト1000が大人気で品切れになっている時に、こんなジョークで暑さを吹き飛ばしていた。
「ヤクルト400を3本飲めば、400×3=1200。ヤクルト1000以上の効能ですよ」
これが意外にウケたので、スワローズOBとして各所で連発していたが、もちろんそんなわけがない。念のためヤクルトの販売会社の人にも確認したが、秒で否定された(笑)。
東京ヤクルトスワローズが連覇を達成した9月25日の晩、すっかり忘れていたこのジョークを思い出して、私はひとり悦に入っていた。
そう、ヤクルトの強さは、たとえヤクルト1000が不在でもヤクルト400を並べて切れ目のない打線や豊富な中継ぎ陣を形成してきたところにあるのだ。
例えばそれは優勝を決めた横浜DeNA戦でも見事に機能していた。
ヤクルト・小川、横浜・今永の投げ合いは、素晴らしい投手戦だった。
両チーム8回を終わって0対0。
しかし、9回の裏にドラマが待っていた。
先頭のオスナが内安打で出塁。
続く中村がバントを決めて1アウト2塁の場面をつくる。
ここで打席に入ったのは、途中からライトの守備に着いたルーキーの丸山だった。
もともとスタメンはサンタナだったが、守備の際に足を痛めて丸山に交代していたのだ。その丸山に9回サヨナラの場面で打席が回ってくる。
ホームラン15本、打率2割7分5厘のサンタナに比べれば、ホームラン1本の丸山は非力な選手だ。ボトルの大きさで言えば、サンタナがヤクルト1000で丸山がヤクルト400のサイズだ。
しかし、その小柄な丸山がここで劇的なサヨナラヒットを打つから野球はおもしろい。いや、ここで打つための起用法を高津監督が日頃から実践してきたからこそ、こうした選手が活躍するのだ。
チームにいる戦力を余すことなく使って、いつもフレッシュな選手を起用していく。丸山も、ここまでいろいろな形で試合出場を続けてきた。その経験が大事なところで生きる。そうした選手たちの群れが選手層の厚さとなって、新型コロナウイルス感染による主力選手の大量離脱も乗り越えてきたのだ。
野手で試合に出続けたのは、4番を任された村上だけ。
それ以外の選手は、休養を取りながらライバルと競争の中に置かれた。ショートの長岡はその中で勝ち残った。投手陣も総動員。木沢をはじめとする新戦力が台頭し、守護神のマクガフにつないだ。
こうした大胆な選手起用について高津監督はこう語っている。
「どんどん野球を進化させていくには、新しい人を使っていかないといけない。変化や失敗を恐れず次へ次へという気持ちは強く持ちながら戦った」
ヤクルト400×3=1200は、あくまでもジョークだが、高津監督が各選手の持ち味を生かして、またチームの将来を見据えて、若い選手を大胆に起用したことは事実だ。
不測のシーズンを、変化を恐れない柔軟な発想で戦っていく。
ヤクルト1000だけに頼らない。
高津監督のマネジメント(ヤクルト400×3)が見事にチームを機能させたと言えるだろう。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。