「豊昇龍の闘志に大相撲の神髄を見た」
スポーツには勝負を分ける局面とは別に、そのスポーツの神髄や戦うアスリートの本質が垣間見れるときがある。
その一瞬に彼らが何者かがわかるのだ。
例えばこんなとき。
大相撲初場所14日目(22日、両国国技館)。
多くの注目は、横綱・照ノ富士(11勝2敗)と関脇・御嶽海(11勝2敗)、西前頭6枚目・阿炎(10勝3敗)の優勝争いに集まったが、この日相撲の神髄を見たのは、優勝には全く関係のない大関・正代(5勝8敗)と東前頭6枚目・豊昇龍(9勝4敗)の一番だった。
結びで照ノ富士と阿炎が激突する一番前の相撲。
ファンもこの相撲には、取り立てて期待するものはなかっただろう。
大関の正代は、すでに負け越して来場所のカド番が決定。NHKのテレビ中継も、話題はすでに結びの一番を占う話に移っていた。そう言っては申し訳ないが、私も正直に言って、阿炎の取り口などを考えていた。
と言った具合に衆目を集めることなく時間一杯になったこの対戦は、野球で言う「消化試合」のような一番だった。
ところが……。
いつものように胸を出して立ち上がった正代に、豊昇龍がすさまじい勢いでぶつかっていく。差し手争いの末に投げの打ち合いになった両者は、お互いに譲らず土俵際に倒れ込んでいく。このとき見た目には、正代の投げの方がやや優勢かと思われたが、豊昇龍も粘って最後まで諦めない。おかげで豊昇龍は土俵の俵付近に顔面から突っ込んでいった。
行司の軍配は、正代に上がった。
確かに正代の投げの方が利いていたように映った。
ところがこの一番に物言いがつく。
すぐさまテレビではスローVTRが流れる。
正代が投げを打つ。
豊昇龍が必死にその投げをこらえるが、態勢は正代が有利か?
豊昇龍の顔が土俵にどんどん近づいていくが、顔をそむける気配は全くない。
そしてその顔が土俵にめり込んでいくとき、VTRは正代の膝が土俵に着いているところを映した。その膝と豊昇龍の顔面は、ほぼ同時に着地しているように見えた……。
土俵上での話し合いが終わり、審判長からの説明が始まる。
「行司軍配は正代に上がりましたが……両者同体とみて取り直しと致します」
このときテレビは、豊昇龍の顔を映したが、土俵に突っ込んでいった右の額は大きく擦り剝けて出血していた。
その血がにじみ出た豊昇龍の顔を見て、私はこれが大相撲なのだと思った。
そしてどんなことがあっても顔をそむけない豊昇龍の姿勢に彼の力士魂を見た気がした。
正代の投げに観念して、身を委ねれば受け身の姿勢も取れたかもしれない。豊昇龍は最後の最後までこの投げに抗して、正代を投げ返そうとした。そして、そのまま顔から土俵に突っ込んでいく。
これこそが、土俵で戦う力士の本分なのだ。
取り直しの相撲も激しい一番になったが、顔面血だらけでぶつかっていく豊昇龍が勝つことを疑わなかった。
明らかに彼の闘志が正代を上回っていた。
案の定、寄り切りで豊昇龍が10勝目をあげた。
たとえ顔から突っ込むことになっても、最後まで体(たい)を残して勝負に賭ける。
そこに大相撲の魅力と力士のプライドがある。
それはひと言、土俵にかける「執念」と言ってもいいのかもしれない。
千秋楽、豊昇龍は傷だらけの額で東前頭16枚目・碧山との一番に向かった。
この相撲もさして注目されるものではなかったが、私にとっては楽しみな一番だった。
豊昇龍が下手投げで巨漢の碧山を土俵に転がした。
この日、本割で御嶽海が照ノ富士を破り13勝2敗で3回目の優勝を決めた。
これで新大関・御嶽海が誕生することになった。
本来ならば優勝した御嶽海に賛辞を贈るべきタイミングだろうが、なぜか豊昇龍(11勝4敗)を記しておきたい気持ちになった。
今場所の対戦はなかったが、モンゴルから来た勝負師(豊昇龍)は、新大関・御嶽海も苦しめる存在になることだろう。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。