「キャプテン不在というチームマネジメントの妙」
東京五輪で金メダルを獲得した侍ジャパン。
前回の当コラムでも触れたが、その活躍はコロナ禍にあっても野球の面白さを世界中に発信し、多くの子どもたちに野球の魅力をアピールしたことだろう。侍ジャパンの躍進が、野球人口の増加に寄与することを願って止まない。
今回の金メダル獲得で稲葉篤紀監督(49歳)は、その任を無事に果たし退任することになったが、素晴らしいチームマネジメントの中で、ずっと気になっていることがあった。
それは、「キャプテンを置かない」というチーム作りだった。
その理由を稲葉監督は「一人の選手(キャプテン)に重圧をかけたくなかったから」と説明しているが、この「マネジメントの妙」に唸らずにはいられなかった。
当初私は、このキャプテン不在を「適任者がいないから…」という理解をしていた。今回招集された24人の選手は、まさにプロ野球を代表する選手たちだが、若い選手が多いこともあって、強烈なリーダーシップを持つ選手がいない印象を受けた。
例えば、最終的に代表から外れたがソフトバンク・松田宣浩(38歳)などがいれば、年齢的にもキャプテン候補だったのではないかと思う。選ばれたメンバーの中では実質的には巨人・坂本勇人(32歳)がキャプテン的役割を果たし、投手陣のリーダー格は、実績十分の楽天・田中将大(32歳)が務めていたのだと思う。大会MVPに輝いたヤクルト・山田哲人(29歳)や4番を任された広島・鈴木誠也(26歳)、あるいは同じ広島の菊地涼介(31歳)や楽天・浅村栄斗(30歳)もいるが、どの選手も責任感が強いだけに、キャプテンに指名されたら、相当な負担になっていたはずだ。
いや、それぞれのチームでは、各選手はもうすでにリーダー的な存在で、キャプテンの役割も十分に務めている人たちだ。だから誰が任されても侍ジャパンのキャプテンもあっさりとこなしていたかもしれない。
ただ、五輪にかかるプレッシャーがどれほど大きいものかは、過去の歴史が教えてくれる。夏の五輪、冬の五輪を問わず選手団の主将や旗手、チームリーダー―的な存在の選手がことごとく力を発揮できずにその戦いを終えたりしているのだ。
五輪の主将は、「活躍できない」というジンクスがあるくらいだ。
今大会でも、選手団の主将を務めた陸上短距離の山縣亮太(29歳)は、400mリレーでバトンが渡らず、失格になっている。聖火の最終ランナーを務めた女子テニスの大坂なおみ(23歳)も予選で早々と姿を消している。男子体操のチームリーダー内村航平(32歳)も鉄棒で落下している。
こうしたことと、任された役割にはやはり因果関係があるのではないだろうか。
五輪の主将やキャプテン、旗手やリーダーは、自分のことだけを考えてのんびりプレーするわけにはいかない。責任感や頑張らなければという力みが精神的な状態を変えてしまう。誰にでも当てはまる訳ではないだろうが、五輪という舞台は、それだけ難しいプレッシャーを選手たちに与える場なのだ。
それを考えると「キャプテンを置かない」というチームマネジメントに、選手として北京五輪(08年)を戦った稲葉監督の経験が見事に生かされている気がする。侍ジャパンの「キャプテン不在」は、裏を返せば「全員がリーダー」ということになる。
その選手個々の主体性や責任感が、今回のチームではすべて良い方に機能していた。
キャプテンの存在が、チームに大きな勇気をもたらすことはいうまでもない。ピンチを迎えて精神的な支柱になってくれることもある。日頃から寝食を共にするような単独チームなら、キャプテンの存在は余計に大きな意味を持つ。
しかし、侍ジャパンは、五輪のために編成された急造チームだ。
しかも五輪のプレッシャーは、想像以上のものだ。
求められるのは、応分にそれぞれが責任を果たすこと。
今回の侍ジャパンでは、キャプテンの不在が全員で戦うというチームカラーを見事に創出したのだ。
稲葉監督の慧眼といえるだろう。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。