「トラック種目に現れた侍たち」
東京五輪第11日目(8月2日)。
この日行われた陸上のトラック種目を見ながら思った。
時代が変わりつつある。
いや、もう変わっているのかもしれない……と。
そんなことを思わせたのは、トラック中距離の3人の激走を見たからだ。
3人に共通するのは、世界の強豪に臆することなく最初から仕掛けていく姿勢だ。
まずは女子1500mの予選に登場した田中希実選手(21歳、豊田自動織機TC)だ。
五輪前に日本記録を次々に塗り替えてきた田中選手だったが、このレースでもその攻撃的な走りは健在だった。スタートからアフリカ勢、ヨーロッパ勢の実力者たちを引き連れて先頭を走って行く。ポジション取りで遠慮するようなところはまったくない。3組の予選は着順で各組6位(7位以下6人)までが準決勝に進める。それぞれがけん制し合ってなかなかペースが上がらない中で、田中選手が自らのペースで集団を引っ張っていく。そんな彼女についていこうと先頭集団のペースがどんどん上がっていく。存在感を見せるために先頭を走るパフォーマンスではない。予選とはいえ、果敢に勝負を挑んで、できればトップでゴールに飛び込もうという闘争心に満ちていた。
結果は自らの日本記録を2秒近く更新する4分2秒33で4位。
着順でしっかりと準決勝進出を決めた。
ちなみに日本の女子選手としては、田中選手がはじめてこの種目(1500m)への出場を果たしている。
同じような激走を見たのは、女子5000mの決勝だ。
広中璃梨佳選手(20歳、日本郵政グループ)が、終始先頭で走り、レースをリードした。
このままいけばメダル獲得の可能性もある。
そうした期待が膨らむ見事な走りだった。
最後はアフリカ勢のスピードに振り切られる形になったが、トレードマークのキャップを脱ぎ捨てて必死にその後を追った。
結果は9位だったが、福士佳代子選手の14分53秒22(05年)を16年ぶりに更新する14分52秒84の快走だった。
田中選手同様、世界の強豪に混ざってまったく遠慮することなく自分のスタイルを貫き通した。9日に控える1万mにむけても「気持ちで負けないスタイルでいきたい」と果敢な走りを目指している。
最初から勇気を出して突っ込んでいったのは、男子3000m障害決勝の三浦龍司選手(19歳、順大)も同じだ。そのスタイルは予選の時から見せていたが、決勝ではさらに攻撃的に走り続けた。2周目から先頭に立つと、ひとり集団から抜け出して、先頭グループを揺さぶった。その後はアフリカ勢に飲み込まれる形になったが、必死に粘って離されることはなかった。最後のスプリント勝負には、さすがについていけなくなったが、それでも諦めることなく着順を拾い金メダルのスフィアヌ・バカリ選手(モロッコ)に8秒遅れの8分16秒90で7位に入った。
この種目では、三浦選手が初めての入賞だった。
田中、広中、三浦。
彼らの走りに心を奪われたのは、自分の力を出し惜しみすることなく、最初から積極的に勝負に出ているからだった。
もちろんまだまだ世界のトップクラスには水をあけられているが、消極的に守りのレースをしてもその差は縮まらない。彼らが、最初から突っ込んでいける背景には、それなりの実力があることがその理由だろうが、おとなしく自分のペースを維持するだけでは、新たな扉を開くことはできないだろう。
例えば、男子の100mも桐生祥秀選手(25歳、日本生命)が9秒台で走ると、続々と10秒の壁を破る選手が現れた。
誰かが壁を破れば、それまでに働いていた「それは無理だろう」という心理的な壁がなくなって、みんなが自信を持って新しい世界に突っ込んでくるのだ。
やってみなければわからない。
自分を信じて果敢に突っ込んでいく。
その勇気ある挑戦を3人に見たのだ。
きっといつかは、こうしたトラック種目でもメダリストが現れることだろう。
3人の走りには、その始まりを見たような気がしたのだ。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。