令和の断面

【令和の断面】vol.52「大栄翔、迷いなき突き押し」

SHARE 
  • 連載一覧へ


    「大栄翔、迷いなき突き押し」

     大相撲初場所で優勝を果たした大栄翔(27歳、追手風部屋)。
     その魅力を書く本稿が、贔屓目になることをご容赦いただきたい。

     というのも、西前頭筆頭で平幕優勝(13勝2敗)を果たした大栄翔は、私が育った埼玉県の
     朝霞市出身、高校も相撲の名門・埼玉栄高校、しかも彼が所属する追手風部屋は、埼玉県草加市にある。
     「草加せんべい」で有名な草加市だが、実は私の地元で、小・中・高と「草加せんべい」を食べて育った(もちろん他の物も食べたが…笑)。だから、彼に会ったことはないが、郷里の後輩という感じがして、今場所はずっと彼の相撲に注目していた。

     身長182センチ、体重161キロ。
     一般社会では決して小さいという体格ではないが、巨漢ぞろいの相撲界にあっては標準的なサイズの「お相撲さん」といえるだろう。
     加えて、ここまでの歩みも、特段に目立つものではなかった。
     小学校1年生で近所の相撲道場の門を叩き、中学校時代は入間市の相撲道場に週1で通った。
     この間、中学校の部活動は園芸部に所属していたというのだからユニークだ。相撲との共通点をあえて探せば、どちらも「土」に親しむということだろうか。埼玉栄高校でも、2年生までは補欠で「ちゃんこ番」だったというから、決して飛びぬけた存在ではなかったのだろう。

     12年初場所が初土俵。
     14年名古屋場所で新十両。
     15年秋場所で新入幕。
     20年初場所で新三役。

     大きなケガもなく順調に出世を果たしてきたが、これといった見せ場はまだなかった。「地
    味」といっては失礼かもしれないが、そう評するのが一番ぴったりのここまでの歩みだった。

     しかし今場所、ついに覚醒の時を迎えた。
     優勝を決めた千秋楽、隠岐の海との一戦は、彼の魅力が凝縮された一番だった。
     立ち合いから低く当たった大栄翔は、休むことのない突き押しで攻めまくり、そのまま電車道で隠岐の海を突き出した。まったく迷うことのない相撲で、見事に優勝をつかみ取った。

     決して大柄の力士ではないが、その分、相手に当たる接点が低く、より破壊力のある立ち合いが成立する。そこに速射砲の突っ張りが繰り出されると、相手の体勢が起きて、体格的な不利が一気に解消される。この間にも、鋭い出足で前に出ていくので、まわしを取れなかった相手は、後退せざるを得ない。その押しを嫌がって引き技を出してくれれば、それこそ大栄翔の望むところで、そのまま相手を押し切ってしまう。

     初日から7日連続で役力士を撃破。

     白鵬と鶴竜の2横綱が不在だったとはいえ、朝乃山、貴景勝(途中休場)、正代の3大関に土をつけた優勝は、今後の自信になることだろう。

     去年4月からは、日大の大学院に通い「ファミリービジネス」を専攻しているという。埼玉県出身の初の優勝力士としても十分に誇らしいが、向学心にあふれた姿勢も素晴らしい。

     優勝した大栄翔だけでなく、関脇・隆の勝(9勝6敗)、「肩透かし」を代名詞に勝ち越した翠富士(9勝6敗)、その他、翔猿、遠藤、照強、炎鵬(休場)らの相撲が楽しい。決して大きな力士ではないが、スピードと突破力、技の多彩さで土俵を盛り上げる力士の存在が、大相撲の魅力を教えてくれる。

     大栄翔、コツコツと積み上げた実力が、ついに花開いた。

    青島 健太 Aoshima Kenta

    昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
    慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
    同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
    5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
    オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
    現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

    バックナンバーはこちら >>

    関連記事