「箱根駅伝に見るコロナの断面」
2021年もテレビのスポーツ中継と共に始まった。
すべての人がスポーツ番組を好む訳ではないだろうが、1月1日の元旦から実業団のニューイヤー駅伝が報じられ、午後にはサッカーの天皇杯(川崎対G大阪)、2日の早朝からは箱根駅伝(2日往路、3日復路)がスタート、全国大学ラグビー選手権の準決勝2試合も中継された。3日には東京ドームでアメリカンフットボールのライスボウル(オービック対関西学院)もオンエアされ、年末から正月休みの間には、高校サッカーや高校ラグビーも連日熱戦の様子が伝えられた。
こうしたスポーツイベントが、正月の欠かせないテレビコンテンツ(中継番組)になっているのは、多くの人がその戦いを熱心に見るからだろう。
当方も例年、ほとんどのスポーツ中継を楽しみに見ている。
いったい人は正月のスポーツに何を見ているのだろうか?
あるいは、何を期待しているのだろうか?
自分の贔屓チームが明確にある人は、勝敗に拘って見ているのだろうが、多くの人はもっと漫然と眺めているはずだ。
だとすれば…そこにあるのは戦う人の姿か?
あるいは明暗を分ける勝負のストーリーか?
例えば、今年の箱根駅伝はどうだろうか。
本当に劇的な結末だった。
優勝候補と目された青学大や東洋大、駒沢大、帝京大、東海大を抑えて往路でトップに立ったのは、ダークホースともいうべき創価大だった。しかも2位の東洋大には2分14秒の差をつけての往路優勝だ。
立役者は、4区を任された島津雄大選手(3年)だった。
優勝候補・東海大を34秒差で追う2位でタスキを受け取ったが、5区の三上雄太選手(3年)に渡す時には、後続に1分42秒の差をつける好走を見せた。1区から5区まで誰も区間賞の走りをしていなくても往路を制するところに創価大の持ち味があり、駅伝の面白さが詰まっていた。
たとえスター選手がいなくても、全員がコンスタントに自分の力を発揮することで勝ち上がっていくことができる。創価大が見せてくれたのは、まさに組織力、チームスポーツの妙だった。
そしてその堅実な戦いぶりは、復路でもそのまま健在だった。
みんなで確実に走り10区の小野寺勇樹選手(3年)にタスキを渡す時には、2位の駒沢大に3分19秒の貯金をプレゼントすることができた。あとは小野寺選手が普通に走り切れば、創価大の初優勝(総合優勝)が決まるところだった。
ところが…。
小野寺選手がまさかのブレーキ(区間20位)。
小野寺選手を追いかけた駒沢大の石川拓慎選手(3年)が、区間新記録こそならなかったが区間1位の快走を見せ、残り約2キロのところで抜き去って、駒沢大が歴史に残る大逆転(13年ぶり7度目の総合優勝)を演じた。
このレースを目撃した人には、もうしつこい話になってしまうので、振り返るのはこのくらいにしようと思うが、スポーツはいつでも起こり得る現実と、その時代の断面を見せてくれるのだと思う。
どの現実に感銘を受けて、どの結果を戒めにするのかは、その人が置かれている立場によるのだろう。
純粋に頑張っている人の姿には、それ自体に前向きな影響力がある。
厳しい現実に向き合いながら活路を見出そうとしている人は、駒沢大の大逆転に感動し、自分もそうありたいと願う。
事が上手く進んでいる人にとっては、創価大の惜敗が教訓になることだろう。
優勝候補の筆頭と思われていた青学大が、往路12位、総合4位に沈んだことも期待通りの成績を残すことの難しさを教えてくれる。
つまりスポーツには、誰にでも当てはまる現実が用意されているのだ。
だから、誰もが漫然とであっても、思わず見てしまう。
人はスポーツに、あるべき自分を見る。
そしてスポーツが、大切な何かを教えてくれる。
それがスポーツの魅力なのではないだろうか。
今回の箱根駅伝では、異例ともいうべき出来事があった。
1区のランナーたちが、お互いにけん制し合って誰も前に行かない。一向にペースが上がらないのだ。
箱根を走るランナーたちにとっては、ジョギングのようなスローペースが続き、中盤までは大集団のままだった。
テレビの解説者は、「1年生を含め箱根をはじめて走るランナーの多いことが慎重さとなってスローペースになっているのではないか」と分析していたが、おそらくそれが大きな理由だろう。
しかし、私なりにもうひとつ考えられる影響を挙げるならば、それはやはりコロナ下のレースだったということを指摘したい。
思うような練習がこなせなかったことが、「失敗したくない」という守りの走りにさせる。みんなが苦労している中で、自分勝手なことはできない。大きな成果よりは、まずは堅実な結果を求めて慎重に走る。そうした思いがどのランナーにも働いて、リスクのある飛び出しを許さなかったのではないか。
それが、あのスローペースのもうひとつの理由だった気がする。
つまり、みんなが様子をうかがいながら慎重に事を進める。
その今の時代(コロナ禍)の断面(人々の心)が、あの瞬間に見えたのだ。
私たちは今、知らず知らずのうちにさまざまなことを自粛し、慎重に生活するスタイルを構築しつつある。それは決して悪いことではないが、その中でスポーツは自由であることの楽しさを訴えてくる。
このメッセージをしっかりと受け止めて、スポーツを私たちの生活により機能させられるように、今年もその断面を切り取っていきたい。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。