「コロナと戦った球児たち」 – 選抜中止、もう感情論は不要だ –
本来ならば、今週の木曜日19日から始まる予定だった春の選抜高校野球大会が中止になった。もうこのニュースは、それが決まった11日から各メディアで大きく取り上げられている。
いまさら何を言っても、何を書いても、出場が決まっていた球児たちの悔しさはぬぐえないだろうが、かつての高校球児としてはひと言書かずにはいられない。
とにかく彼らの気持ちはよくわかる。
我が母校、埼玉県立春日部高校は、40年以上前の昭和50年(1975年)秋の埼玉県大会で優勝し関東大会に出場した。この時私は、ショートで3番を打っていた。
1回戦の横浜商業(神奈川県)に勝って、準決勝で小山高校(栃木県)と対戦した。
結果は11対5で大敗。
同じ準決勝の習志野(千葉県)と鉾田一高(茨城県)の試合は、2対1の接戦で鉾田一高が負けていた。なぜ負けた方を紹介するかと言えば、選抜に当たっては負け方が重要だったからだ。
この時の選抜は、関東から3校が選ばれたのだが、決勝に進んだ小山高校(優勝)と習志野と準決勝で敗退した鉾田一高が選ばれた。つまり「11対5」よりも「2対1」の方が、決勝に進んだ2チームと戦力が拮抗していると評価されたからだ。
結局、我々は「補欠校」という立場で、出場が決まっている学校が辞退した時に代わりに出られるというものだった。
だから不謹慎にも、選抜が始まるまでは、他校の不祥事ばかり願っていたが、どこも素晴らしい野球部でそんなことは起こらなかった。
「選抜の補欠校」
それはそれで名誉あることだが、あと一歩のところで甲子園出場を逃している。その悔しさは、40年以上経った今でも、忘れることはない。
甲子園は一生に一度行けるか行けないかの夢舞台だ。
補欠校の我々でもあれだけ悔しかったのだから、本来行けるはずの選手たちがその機会を奪われたら…。
球児たちは、これ以上ない悔しさに襲われていることだろう。
今は、とにかく夏を目指して頑張って欲しいとしか言いようがない。
当初私は、無観客でもいいから甲子園は絶対にやるべきだと思っていた。
思い出すのは2011年3月11日の東日本大震災だ。あの時も大変な被害に見舞われながらも、高校生たちはその困難に負けることなく甲子園に集まって、全国に勇気を届けた。
今回もそうした前向きな発信が必要だと思ったからだ。
しかし、この新型コロナウィルスが厄介なのは、これからまだまだ感染の拡大が予想されることだ。
今、この時期に必要なメッセージは、不要不急な外出を控えて感染拡大を抑えなければいけないというものだ。出場が決まっていた高校生たちに不運だったのは、大会を中止にするということ自体が大きなメッセージになっていたということだ。
球児たちも甲子園に集まらない。
だからみなさんもできるだけ外出を控えてください。
そのメッセージを、中止を通じて発信することになってしまったのだ。
中止の決定を受けて、各所から様々な救済案が出てきている。夏の甲子園と一緒に春夏合同でやってはどうか。私もテレビで「春の代表校に夏の入場行進を一緒にさせてあげたい」と言った。
しかし、これはやっぱり現実的ではないだろう。主催の新聞社も違えば、甲子園を使用できる期間的な問題もある。感情的にはみんな何とかしてあげたいと思っているのだが、薄っぺらな善後策ではかえって選手たちの名誉を傷つけることになってしまう。
私はこう思う。
今回で92回目となる選抜高校野球の歴史の中で、中止と言う悲運を受け止めた球児たちは今回出場できなかった彼らだけだ。それがどれだけ悔しいことで、またそれを受け入れることがどれだけ立派なことかをしっかりと記憶しなければならない。その不運と名誉を何らかの形で後世に残す。それだけはどんなことがあってもやってあげなければならないだろう。
しかし、これ以上感情論で彼らに同情を寄せても、それは球児たちのためにならない。
もう夏への戦いが始まっている。
彼らは、この事態と見事に戦った。そして本当に素晴らしかった。
今度は、みんなで夏の甲子園を目指そう。そうやって切り替えることこそスポーツの本質だ。
そのことは誰よりも球児たち自身が一番よくわかっている。
もう感情論は不要だ。
ただ、主催者の高野連と毎日新聞は、これから選手たちのために何ができるかを考えると記者会見でも言っていた。そこには期待しよう。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。