「ピアスで戦う大迫傑」
大迫傑選手(28歳ナイキ)が日本記録を更新した東京マラソン(3月1日)。
高輪の折り返し地点が仕事場から近いので、沿道から彼の走りを見ようかどうか迷ったが、「不要な外出を控えよう」という新型コロナウィルスへの対策に沿って、テレビで観戦することにした。
どんなドラマがあったかは、周知の通りだ。
去年9月に行われたMGC(グランド・マラソン・チャンピオンシップ)。上位2名の東京五輪出場が決まるこの大会で、大迫は2位服部弾馬選手に5秒差の3位に終わった。代表枠は、あと一つ。2時間5分50秒の日本記録を持っている大迫が有利であることは間違いなかったが、東京マラソンでこの記録を破る選手が現れれば、大迫の出場はなくなる。
大迫はどうするのか?
出場するのか、これを見送るのか。
彼が選んだ道は、自らも東京マラソンを走ることだった。
そして、自分自身の日本記録を更新(2時間5分29秒)して圧倒的な強さで3枠目をほぼ手中に収めたのだ。
※3月8日のびわ湖毎日マラソンで2時間5分29秒を超える選手が出なければ、大迫が3人目の東京五輪マラソン代表選手に内定する。
終始先頭グループでは走ってはいたものの、井上大仁選手が前を行き、25キロ過ぎからは集団から遅れ始めた。井上がそのままのペースで走り続ければ、大迫の日本記録を大きく更新する勢いだった。ところが30キロ過ぎで先頭集団に追いついた大迫は、井上の疲れを察知すると、ここが勝負とスパートをかけ、井上を一気に置き去りにした。そして、その後もスピードは落ちることなく日本人トップでゴールを駆け抜けた。
ゴールテープを切る瞬間、大迫は両手で渾身のガッツポーズを作り、雄叫びをあげながらゴールに飛び込んだ。
マラソン選手でそんなことをする人を、いままで見たことがない。
この大会に臨む大迫がどれほど悔しかったか、そしてこのゴールがどれほどうれしかったかが、見事に伝わってくるシーンだった。
この選手には語りたいことがたくさんあるが、ここではあえて「ピアス」について触れておこう。
大迫は、両耳にピアスをして東京マラソンを走った。
一般論で言えば、「ピアス」なんかしない方がいいに決まっている。
「マラソン選手のくせにチャラチャラしている」
「そんなことをする前に、もっとやることがあるだろう」
悪口はどれだけ言われても、「ピアスが格好いい」や「スタイリッシュ」などとほめてくれる人は少ないだろう。勝てばいいが、思うような走りができなければ、その走りと一緒に「ピアス」が攻撃されるのは明らかだ。
でも、だからこそ彼は「ピアス」をしているのだと思う。
自分のやりたいことを周囲に惑わされることなく徹底的にやる。自分を信じて自分のやり方で生きていく。その反骨の精神が「ピアス」なのだろう。
早稲田大学から実業団に入社したものの、1年で退社してアメリカに渡る。今回も単独でケニア合宿を敢行して、東京マラソンに挑んだ。「ピアス」への評価や反発を気にしているくらいでは、彼の生き方を貫くことはできない。
それは、走ることと同様に大迫傑という選手が何者なのかをよく表している。
「ピアス」を批判されればされるほど、彼はそれを走るエネルギーに変える男なのだ。勝てば誰も文句を言わない。日本記録を樹立すれば、なおさらのことだ。
大迫傑にとって「ピアス」は、誰よりも強い闘争心の象徴なのだろう。
それが証拠に、他のランナーは誰も真似ができない。
アスリートのプロ化が進む令和のスポーツ界。
「ピアス」で日本記録を樹立。実に令和的なスターだと言えるだろう。
青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。