「変わっていく就職観」
先週、都内のホテルで慶応義塾大学体育会野球部の優勝祝賀会が行われた。
去年の秋、慶応の野球部は、東京六大学野球秋季リーグ戦優勝、フレッシュトーナメント(新人戦)優勝、第50回記念明治神宮野球大会優勝(日本一)のトリプルクラウンに輝き、それを祝して祝賀会が開催された。
600人近い出席者を迎え盛大なパーティーとなったが、不肖・青島が司会進行を務めた。素晴らしい成績をあげた大久保秀昭監督は、秋の日本一を置き土産に退任し、今季からはJR東日本で長らく監督として活躍した堀井哲也氏が慶応野球部の指揮を執ることになった。祝賀会では、そのバトンタッチも改めて報告された。
と、ここまでは母校の自慢話のようになってしまったが、この祝賀会で考えさせられたのは、昨今の選手たちの就職観である。
実は、今回の優勝チームから4人の選手がプロ野球に入団する。慶応から一気に4人がプロ入り。
これだけでも、かなりのニュースだ。
それだけ優秀な選手が揃っていたということであり、優勝もこうした戦力があってのことだったのはまちがいないだろう。
ここでプロ入りの選手を紹介しておこう。
郡司 裕也 (捕手) 中日 4位
柳町 達 (外野手) ソフトバンク 5位
植田 将太 (捕手) 千葉ロッテ 育成2位
慶応の先輩として、またプロ野球(東京ヤクルト)のOBとしても、彼らには是非とも頑張ってもらいたいと思うが、ここで気になるのはドラフトの指名順位だ。
3位、4位、5位、そして育成2位。
津留﨑君は150キロを超える速球を武器にし、郡司君は大学球界屈指のキャッチャーであり、柳町君も六大学のヒットメーカーだ。もっと上位の指名でもおかしくないレベルだと思うが、それでも彼らはこの順位でプロ入りする。植田君に至っては、育成枠でもプロの世界に飛び込むというのだ。
かつての六大学の選手は、とりわけ慶応の選手は、ドラフト1位でなければプロ入りしなかった。最低でも2位。これは不文律のように機能していた。
早稲田や明治、立教や法政の選手もほぼ同様だったと思う。もちろん過去には3位や4位で入団した選手もいただろうが、原則は1位、2位の上位指名である。
これは「六大学だけが特別だ」という話ではない。
ここで浮かび上がってくるのは、令和の就職観、あるいは職業観だ。
僕らが大学生だった昭和の時代は、「就職=終身雇用」だった。
だから、一流企業への就職を捨ててプロ入りするのであれば、相応の順位や条件が整わなければ行かないというのが常識であり、賢明な判断だった。
下位の指名では、契約金も少なければ、年俸も低く設定される。それなら将来を考えて「企業に就職する方が得だ」という就職観や価値観が当たり前にあったのだ。
ところが最近の大学生は、慶応の学生であっても、3位、4位、5位、いや育成枠でもプロ野球にチャレンジする。
ここには明らかにこの時代の社会状況が反映している。
終身雇用という言葉も、もう死語になりつつあるのかもしれない。
キャリアアップの転職は、もはや当たり前。
あるいは、志と能力のある人は、どんどんベンチャーで勝負する。
プロ野球に行くことも、もしかすると起業するのと同じような感覚なのかもしれない。ダメなら、また次のことに挑戦すればいい。
野球だけでなく、あらゆるスポーツがプロ化する今、アスリートは自分の可能性に賭けて「スポーツで稼ぐこと」にチャレンジする。
背景にあるのは、雇用形態の多様化。
さまざまなスポーツ選手が、どんどんプロを目指す。
この傾向は、これからますます盛んになるだろう。
ただ、老婆心ながら先輩として付け加えておけば、チャレンジャーが多くなった分、淘汰されて消えていく選手が増えるのも、これもまた時代の流れである。
青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。