2025年、東京六大学野球が100周年を迎えた。
私が慶応義塾大学体育会野球部の一員として神宮球場でプレーしたのは、1977年~80年の4年間なので、100年に及ぶ歴史の中でちょうど真ん中あたりの時代になる。
この間、数多の名選手たちが活躍し、多くの野球部員が六大学出身の誇りを持って社会に出ていった。
試合に出場したかどうかにかかわらず、六大学の野球部に身を置いた者の幸せは、同窓の仲間を得て、いつまでもその時代を懐かしみ、OBとしての立場を生涯にわたって享受することだろう。
個人的には、1979年秋に作った「シーズン22打点」の記録がまだ破られずに残っている。12試合で22打点。今考えてもよく打ったものだと驚くが、これも塁上にランナーがいてくれたおかげなので、仲間がくれた有難い記録である。
しかし、50年近く残存するこの記録も、いよいよ破られることになるかもしれない。
六大学野球が100周年を迎えたのを機に、来年26年のシーズンからDH(指名打者)制を導入することが発表された。これで六大学野球も大きく変わることになる。いや、大学野球に留まらず日本野球界全体に変化を生むことになるだろう。
まず、DH制の導入によって、打撃に特化した選手が出場機会を得ることになる。我々の時代にもいたが、バッティングが凄いのに守るところがないという選手がどこのチームにもいる。そうした選手が活躍の場を得ることになるのだ。
これにともない単純にゲームに出場する選手が増える。
埋もれている存在にもチャンスが来るのだ。
また野球の作戦(質)が大きく変わることになるだろう。
ピッチングに専念させたい投手の打順は、9番が定位置だ。投手の前にランナーが出れば2アウト以外「送りバント」が定石になる。もちろん打撃の良い投手には、攻撃的なサインも出るだろうが、基本的に投手に無理をさせたくない。
DH制となると投手の代わりにもう一人強打者が打順に入ってくる。
作戦的にも「送りバント」は減ることになるだろう。
つねに大量点を狙って攻撃的な野球を展開することになる。
ただ、投げている投手も打席に入ることもなく、ランナーになることもない。ピッチングに集中できるので、これを打ち崩すことが難しくなる側面もある。
いずれにしても打撃力も投手力も向上し、攻守両面に攻撃的な野球が展開されることになるのは間違いない。
そうなれば「シーズン22打点」を破る選手も出てくることだろう。
DH制に先立って今年からビデオ判定制度も導入される。
東京ヤクルトスワローズが本境地にする神宮球場には、もうすでに必要なカメラが設置されている。これも各大学OBが務める審判の負担を軽くする有効な改革といえるだろう。
100年の節目で六大学野球が大きく変わる。
打撃が得意な選手に出番が増えることは、チームを活性化し、人材の育成にもつながる。
こうした流れは、これから小学生、中学生、高校生の野球にも影響を与えることになるだろう。
令和の断面