元阪神監督の吉田義男さんが91歳で亡くなられた。
これまで選手、取材者として多くの指導者にお世話になり、いろいろなお話を伺ってきたが、吉田さんも強く印象に残る方だ。
京都府出身。山城高校から立命館大学を経て53年に阪神入団。ショートの名手として攻守に活躍し、軽快な身のこなしから「今牛若丸」と呼ばれた。
54、56年には盗塁王。ベストナイン9度は遊撃手最多だ。
吉田さんが、持ち前の攻撃性を意識したのは、「遊撃手」という言葉からの連想だった。
ショートストップを誰が名付けたか、日本語では「遊撃手」と呼ぶ。
遊撃手の漢字を分解すれば「遊ぶように自由に守り、守備をもって相手を撃つ」
と、吉田さんは解説してくれた。
「ショートは、守備で相手を攻撃するんですよ」という吉田さんの言葉に、名手の哲学と斬新な発想を見た。
三遊間の深いゴロや投手の横を転がる緩いゴロ。
相手の打者が「しめた」と思うヒット性の打球を、果敢な守備でこれを攻めてアウトにする。「よし」と思った打者は、吉田さんの守備でダメージを受けるのだ。
また、一番の見せ場はランナーを置いてのダブルプレーだ。
自分が打球を捕って2塁ベースに投げる時も、2塁手から来るボールを捕って1塁に転送する時も、ほとんど投げる相手を見ていないと言っていた。
ボールを捕った瞬間に、何処にどう投げるのかは、身体が覚えているそうだ。
これが職人芸というやつだ。
吉田さんは75~77年、85~87年、97~98年と3期にわたり阪神の監督を務め、85年にはリーグ制覇、球団初の日本一にも輝いている。ちなみにこの時ヤクルトの選手だった私は、阪神(吉田監督)の優勝を目の前で見ている(@神宮球場)。
加えてその異色のキャリアは、90年から95年まで「フランス代表監督」も務めていることだ。
ここでも吉田さんは「遊撃手」として遊ぶように自由に海外に打って出ているのだ。フランスでは「ムッシュ」と呼ばれ彼の地の野球ファンにも親しまれた。
現役時代は、身長167センチ、体重56キロ。
この小柄な体格で大活躍できたのは、誰にも負けない攻撃性とその自由な発想があったからだろう。
吉田さんのその姿勢は、今を生きる私たちへのメッセージでもある。
令和の断面