令和の断面

vol.231「令和の部活はどうあるべきか」

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     スポーツの秋に気になる数字を見つけた。
     中学の部活動についてである。
     本コラムで何度も取り上げてきたが、中学の部活動が大きな転換点に直面している。

     もっともわかりやすいのは、部員数の推移だ。

     平成25年(2013年)に245219人いた中学校の野球部員は、令和4年(2022年)に141320人に減少している。率にして42.37%減だ。
     サッカー部も減っている。平成25年は258291人だったが、令和4年は156892人である。こちらは39.26%減になる。
     野球、サッカー共にこの10年間で約10万人減っているのだ。

     この他のスポーツも軒並み減少傾向にある。

     まずは少子化が底流に流れる原因だが、人口減少をはるかに越えるペースで中学の運動部員は少なくなり続けている。

     野球やサッカーの減少は、周辺の地域クラブでの活動にシフトしている面もあるが、これも経済的に恵まれている家庭でなければ、参加することができない。

     各中学の部員数の減少によって、単独チームでは活動できない運動部が増えるなか、近隣の中学同士で合同チームを作って部活動の継続を図っていく。
     これが文部科学省の進めている部活動の「地域移行」である。
     名前が分かりにくい。実態とずれている等の指摘もあって、最近は部活動の「地域展開」と呼ぶようになった。

     話は変わるが、今月、91歳になる母が他界した。
     母は、書道や華道に才があり、晩年は俳句もよく詠んでいた。
     ところがスポーツには縁がなかったようだ。
     私は野球、妹はバレーボールで活躍した二人の子を持つ母である。
     きっと何か得意なことはあったのだろうが、こどもの頃からスポーツをする姿を見たことはなかった。私と妹は、きっと苦手なのだろうと思っていた。
     しかし、その母が亡くなった時に、改めて母の人生を振り返ると、大変な時代を生きてきたことに気が付かされる。

     昭和8年(1933年)生まれの母は、12歳で終戦(1945年)を迎えている。小学校時代はずっと戦争が続く日々で暮らしている。中学時代が戦後の貧しい時代だ。よっぽど才能がなければスポーツなどさせてもらえなかったはずだ。いや、たとえ才能があってもスポーツを楽しむ環境そのものがなかった時代だ。

     母がもし自由に部活動を選べる中学時代を送っていたら、きっと得意なスポーツに出会っていたことだろう。

     いま、中学の部活動で起こっていることは、中学生が自由にやりたいスポーツを選べないことになりかねない。

     顧問の先生の過度な負担を軽減することを含めて、部活動の改革が迫られている。

     これからのこどもたちが、やってみたいスポーツに自由に挑戦できる環境をどうやって作っていくか。

     これは私たち大人が用意すべき環境であり、政治の責任でもある。

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