大学生になった元ロッテ右腕 島孝明が考える未来(インタビュー全3回) #1
■全国レベルだった中学生も…プロへの意識は「なかった」
――野球を始めたきっかけを教えてください。
「お父さんと小さい頃、キャッチボールをよくやっていました。 最初はサッカーをしていたのですが、サッカーがあまり面白くないと感じてしまって、野球に切り替えました。小学校1年生の後半くらいの時期でした。」
――お父さんは野球が好きだったのですか?
「お父さんは野球を見るのが好きでしたね。本格的にプレイヤーであったわけではありません。」
――最初にチームに入ったのはいつですか?
「小学校の終わりの頃くらいだったと思います。地区では強かったのですが、県で優勝したりとかいうのはあまりなかったです。その地区だけで強かったチームでした。」
――中学は硬式野球の名門、佐倉シニア。野球の実力は自分ではどのように見えていたのですか?
「元々、投げる球のスピードが速くて、もう少しレベルの高いところでやってみたいなと思っていました。」
――中学時代の野球との向き合い方はどうたったのですか?
「チームの練習自体は土日メインでした。平日も週に2回くらいでした。それ以外は基本的に自主練習。家に帰ってきたら、走りに行ったりとかをしていました。」
――遊びよりも野球の時間の方が長い?
「お父さんからも「練習しろ」と少し言われましたし、お母さんが厳しかったですね。」
――その頃はプロ野球選手を目指していたんですか?
「実際には考えていなくて、自分の能力を上げることにしかフォーカスしていなかったです。」
――中学時代の成績は?
「中学時代は3年生の時に、全国大会に出ることができました。ベスト4まで行きました。」
――その頃もプロ野球選手になろうと思ってなかった
「全く考えてなかったです。」
――それだけの力があって、プロへの意識がないというのも不思議ですね。どんな気持ちだったのですか?
「自分がエースピッチャーだったということもあって、自分がしっかりしないといけないっていう責任感はありました。 とにかくチームに貢献するという思いだけで野球をやっていましたね。」
――当時の将来の夢は?
「警察官になろうかなと思っていました。 これだ!という夢は特になかったですね。警察官については、ドラマを見ていて、かっこいいなと思っていました 。」
■高校3年生の時に150キロ超えでメディアが注目
――進学した東海大市原望洋への流れはどのような形でしたか?
「中学で所属していたチームから、進学先の希望を聞かれました。千葉県内ならどこでも一緒かな、という思いでした。 戦国・千葉と言われていた時代だったので、どこに行っても確実に強いというところはないのかなと思っていた。たまたま当時の中学の監督さんに勧められて、『じゃあ、そうします』という話でしたね。」
――高校時代の目標は?
「甲子園に出たいというのは、特に考えていなかったです。 もっと上手くなりたい、という気持ちがずっと強かったです。」
――「もっと上手くなりたい」の先に見ていたものは?
「自分がうまくなることによって、周りの人が喜んでくれることです。自分にとってはそれがすごく嬉しくて。それでチームが勝つというのが自分のモチベーションの一つでした。」
――周りのレベルはどうだったのですか?
「周りより自分が劣ってるという感じはしなくて、その高校の監督にも期待されて進学をしたので、楽しくやっていました。」
――どの辺が周りより自分の方が上と感じた?
「自分がやるべきことを当時からしっかり考えていたのは大きかったなと思います。僕がいた東海大市原望洋高校は全体練習があまりなくて、結構、個人練習をしている時間が多かった。 自分でこうした方がいいんじゃないかということを考えていたのは僕にとっては良かったかなと思います。」
――やるべきことは当時、どういうことでしたか?
「割と昭和的な考えだったので、中学の時にやってきたことでその中で自分の感触が良かったものを継続していました。走り込み、チューブのトレーニング、ブルペンでのフォームチェック…こうしようとかっていうのはずっと考えてました。」
――最終的には高校で150キロをマークしましたが、球速は当時から速かったのですか?
「139キロまで出ていて、高校2年生の秋で148キロが出ました。高校3年生の春で153キロ。人生のマックスでしたね。」
――今もピッチングはしているみたいですね?
「145キロは出ますね(笑)」
――どういった部分が球速アップに繋がっていたのですか?
「体の柔らかさは先天的なものとして持っていて、ありがたかったなと思います。柔らかすぎて、怪我をするというのが、たびたびあって、その可動域に対して制御する筋力が足りていなかった気はします。」
――プロになりたいと思ったタイミングは来たのですか?
「僕が春の大会で153キロを投げた時にメディアの皆さまに取り上げられるようになり、これだったら行けるのかなという実感しました。」
――そこから、プロで戦おうという決心がついたのは?
「一度きりの人生。行ける時に行っておかないと、大学に進んで、4年後に行けるのかという保証はなかったので、どうせ行くならば、行こうかなという気持ちでいました。」
――どのようなプロ野球選手になっていきたいと思いましたか?
「僕、高校の時から リリーフで登板することが多かったのでクローザーだったりとか、そういったところで自分はやっていくんだろうなと考えていました。」
島孝明(しま・たかあき)
1998年6月26日生まれ。千葉・佐倉市出身。佐倉シニアから東海大市原望洋高に進学。3年夏には千葉県大会準々決勝で早川隆久(楽天)擁する木更津総合に0-1で敗戦するも、U-18日本代表に選出。2016年ドラフトでロッテから3巡目で指名。2019年オフに戦力外通告、育成契約打診を受けるも引退を決断。國學院大學へ進学。2022年WBSC「U-23ワールドカップ」の日本代表チームのクオリティコントロールスタッフを務めた。中学・高校の保健体育科の教員免許取得をし、2024年4月からは慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科への進学。右投右打。