【令和の断面】vol.220「サーフィンの時代」

令和の断面

 東京五輪2020から新競技として採用されたサーフィン競技。
 その監督を務めた宗像富次郎氏とトークショーでご一緒した。60代の宗像氏ももちろんサーファー。今も真っ黒に日焼けしているが、一級建築士でありながら所沢市役所や埼玉県庁にも勤務していた行政マンである。若いころから海に魅せられ、サーフィンに没頭し、選手でありながらも協会の要職を務めてきた。
 そして任された日本代表監督。

 そもそもサーフィンは、人と競い合うスポーツではない。
 海と向き合い、押し寄せる波に挑み、その波の大きなエネルギーと協調してさまざまな乗り方を繰り出していく。言えば、自然との闘いであり、自然との調和が本質だ。
 だから、長い間、五輪競技とは無縁の立場で成立してきたが、東京ではじめて採用されることになった。

 その背景を宗像氏が説明してくれた。

 「IOC(国際オリンピック委員会)は、伝統的な競技に加えて若者に人気のある競技を求めていた。またアメリカの放送局への配慮もあって、視聴率の取れる競技を採用したかった。そこでサーフィン、スポーツクライミング、スケートボードが野球&ソフトボール、空手とパッケージ(一括)で採択されて、サーフィンの五輪入りが決まる。そこにはIOCの強い意向が働いていました」

 五輪競技になることへの抵抗はなかったのか?

 「もともとサーフィン独特のスローライフを重視するサーファーと競技思考のグループがいます。そのすみわけは今も上手くいっている。五輪を通じてサーフィンをもっと知ってもらう。普及振興を促進する。その点で五輪競技になったことは、サーフィン界にとって大きな意義があったと思います」

 これまで筆者は何度も五輪を取材してきたが、マリンスポーツの難点は競技が沖合で行われるため、関係者以外の人は生で観戦できないことだった。そのためヨットなども数多くメダルを獲っているが、せっかくの競技を映像以外で見ることができない。その点、サーフィンは海岸から見ることができる。地球環境に対する意識も高まっている昨今、海やビーチを拠点にするサーフィンの役割と意義はこれからますます大事になっていくことだろう。

 東京五輪では男子の五十嵐カノア選手が銀メダル、女子の都築有夢路選手が銅メダルを獲得した日本勢。宗像監督も、その成果にホッとしている。
 残念ながらパリ五輪ではメダルを逃した日本だが、朗報は次回の28年ロサンゼルス、32年ブリスベンと五輪でサーフィン競技が続いていくことだ。

 「サーフィン界にとっては、すごいチャンスが来ていると思うので、サーフィンをもっともっと人気のあるスポーツにしていきたいですね」

 四方を海に囲まれた日本。
 五輪競技になったサーフィンの可能性は、これからますます広がっていくことだろう。

 まさにサーフィンが波に乗ってきた!

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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