【令和の断面】vol.213「日本サッカーの現在地」

令和の断面

 客員教授を務めている日本医療科学大学の学園祭(大樹祭)に、今年はサッカー元日本代表の武田修宏氏に来てもらった。

 対談のテーマは「日本サッカーの現在地」。

 静岡県清水東高校時代から注目されていた武田さんは、大学には行かず当時の日本リーグ「読売クラブ」へ入団する。まだJリーグがスタートする前の時代である。
 当時の読売クラブは、出場給や勝利給などが支払われるチームで武田さんは「早くサッカーで稼ぎたかった」と早くからプロ意識を持っていた。

 93年にJリーグが開幕すると、その後はヴェルディのスター選手として、「カズ」こと三浦知良選手やラモス・瑠偉選手らと共にチームを牽引した。

 そして、武田さんは日本代表として森保一現・日本代表監督らと一緒に「ドーハの悲劇」を経験したメンバーでもある。

 そんな武田さんが、今の日本代表に感じる頼もしさは、ヨーロッパの強豪を相手にまったく臆することがないことだと言った。
 その背景にあるのは、今の代表のほとんどの選手が日頃から海外でプレーしていることだ。
 日本代表キャプテンの遠藤航はリバプール、ディフェンスの要、冨安健洋はアーセナル、共にプレミアリーグで主力選手として活躍している。その他の選手もフランス、ベルギー、ドイツ等々でしのぎを削っている。

 こうした環境に身を置くことで選手はどんどん成長していく。
 「ボクらの時代とそこが決定的に違いますね」と武田さんは、日本サッカーの現在地を語った。

 環境が人を作る。
 そのことを身をもって経験してきたのが武田さん自身だった。

 高校から読売クラブに入った武田さんを待っていたのは、年長のしかも個性豊かな先輩選手ばかりだ。そんな中でレギュラーとして試合に出続けるには、とにかく結果を残すしかない。フォワードにとっての結果は、ずばり「ゴール」しかないのだ。とにかく点を取ることに拘ってプレーし続けた武田さんは、チーム内で不動の存在になり、日本代表へと登りつめていく。
 厳しい競争の環境が成長への糧となる。

 ただ、ここで武田さんが注文をつける。

 「日本から世界に出ている選手は100人超。ブラジルは1000人を超える選手が海外でプレーしている。日本の選手は、もっともっと海外に出ていくべきだと思うし、まだまだ強くなれるはずです」

 前回のW杯では、ドイツとスペインを破って決勝トーナメント進出を果たした日本代表。あの歓喜を忘れることはないが、武田さんは冷静に世界を見ている。

 「日本代表は確かに強くなっているが、その間に世界のサッカーもどんどん進化している。だからこのレベルで満足しているわけにはいかない。もっともっと上を目指して進んでいくしかありません」

 57歳になった武田さん。
 しかし、サッカーへの情熱はまったく変わっていなかった。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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