【令和の断面】vol.212「ベッツの骨折で思うこと」

令和の断面

 ロサンゼルス・ドジャースの不動の1番打者、ムーキー・ベッツ選手が骨折で戦線を離脱した。
 以前、当コラムでベッツの素晴らしさにも言及したが、守備の要ショートを守り打率も3割台をキープ、ここまでMVP級の活躍を続けていただけにチームにとっては大きな痛手だ。しかも2番大谷翔平の前を打ち、数多くのチャンスを演出してきたことを考えるとその影響は、大谷にも及ぶことになるだろう(おそらく打点が稼ぎづらくなるのではないか?)。

 しかし、ベッツに代わって1番を任された大谷が、連日ホームランとヒットを量産し、フリーマンと脅威の1、2番を形成しているのは、ロバーツ監督にとっても嬉しい展開といえるだろう。

 ベッツとは比べ物にならないが、40年前に同じ1番バッターで左手の甲を骨折した選手がいる。
 季節も同じ今頃。
 山口県徳山市(今の周南市)で行われた広島対ヤクルト戦。

 1回の表、先頭打者で打席に入ったその選手は、広島・北別府学投手のシュートが左手に当たり、そのまま出塁して得点まで上げたものの、守備に就こうとして左手にグラブをはめようとしたら激痛が走り、そこで万事休す。
 救急車で市内の病院に運ばれ、骨折が判明。
 2か月の戦線離脱を余儀なくされたのだった。

 名前を出すほどの選手ではないが、それがヤクルト1年目の青島健太である。

 私の5年間の選手生活は、チームにもプロ野球界にもまったく貢献するものではなかったが、ひとつだけ何かを残したと言えば、手の甲に装着するプロテクターの必要性に貢献したとは言えるだろう。
 二の腕や背中、足などは、筋肉があるので痛いのは痛いのだが、デッドボールで骨折に至ることはまずない。
 それに引き換え、手の甲はまったく筋肉の鎧がなく、おまけに骨が細いので当たり方が悪いとすぐに骨折してしまう。
 私の骨折以降にも、何人もの選手が手の甲を骨折している。
 そこで開発されたのが手の甲に着けるプロテクターである。
 いつ誰が着け始めたのかは定かではないが、今では多くの選手が使うようになっている。
 その筆頭は、大谷だ。
 投手でもある大谷は、誰よりも右腕を守る必要がある。
 手の甲だけでなく、肘や二の腕を守るプロテクターを着けて打席に立っている。

 今は、甲の部分が肉厚になっている手袋も開発されているが、野球において一番骨折しやすいのが、手の甲だと思う。
 何よりも守るべきは頭なのでヘルメットは義務付けられているが、個人的には手の甲のプロテクターも打者は必ず着けるようなルールにした方が良いと思う。

 例えば高校生などは、今の時期に骨折してしまうと、夏の大会に出場することはできず、これで高校野球が終わってしまう。

 ベッツのような名選手(ボールの避け方が上手い)でも、手の甲に当たってします。本人にも痛ければ、球団にもファンにも痛い死球である。

 手の甲のプロテクターは必ず装着する。
 このことをもっともっと訴えていこう。
 それがベッツ骨折の教訓である。

青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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