日本を代表するストライカーがピッチを去ることになった。
ベルギー、シントトロイデンの岡崎慎司(38歳)が、都内で会見を開き引退を表明した。現役生活20年間。A代表では119試合に出場し、歴代3位の50得点をあげた。
最近のサッカー界では、「ストライカー」という言葉を聞かなくなったような気がする。「点取り屋」というような意味で、頼りになる絶対的なFW(フォワード)の称号だ。
FWの役割も多様化し、前で張って攻撃だけに特化できない現代サッカーが、ストライカーという言葉を希薄にしているのだと思う。
そんな中で、岡崎慎司は最後まで泥臭いストライカーに拘った選手だった。
座右の銘は「一生ダイビングヘッド」。
もちろん足で流し込むゴールもあるが、届くか、届かないかのボールに頭から飛び込んでいくのが岡崎慎司だった。
こどもの頃からダイビングヘッドを練習してきた岡崎は、その教えと狙いを会見でこう語った。
「今の時代、なかなか話しづらい(笑)。教えは、格好つける前に、届くか届かないか分からないところにも体を投げ出してトライしてみろ、というメッセージがあったと思う。諦めるなという部分で、練習でダイビングヘッドを織り込むことは理にかなっているなと思います」
その諦めない姿勢が、A 代表での50得点につながったのだろう。
冒頭、ストライカーがピッチを去ると書いたが、正確に言えば、岡崎はピッチを去らない。自身が創設したドイツ6部リーグのクラブで指導者としてピッチに立ち続けるそうだ。
目標は、「日本代表監督でW杯優勝」と大きくぶち上げた。
しかし、これが岡崎慎司なのだ。
欧州で監督業をスタートする意味を岡崎はこう説明した。
「最初は『監督をするなら日本で』と思っていた。日本の選手は欧州に挑戦している。僕も、もっと挑戦しないといけない。選手の苦労を知っているだけに、環境に甘えてしまったら、どんどん海外で味わった悔しさを忘れるかなと。監督に向けても欧州で挑戦する」
監督業でも、届くか届かないかなんて関係ない。とにかくダイビングヘッドで飛び込んでいく。
岡崎は、会見で自身の選手生活をこう振り返った。
「後悔だらけで、自分が目標として口にしたことはほとんど達成できていない。W杯優勝やビッグクラブでプレーすること、40歳まで現役を続けるという最後の目標も達成できなかった。記憶に残っているのは悔しさだけ。ただ、自分がここまで来られるとは想像していなかった。次の人生でその先の景色を見られたらと思う」
原動力は悔しさか?
楽しみはまだまだ続く。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。