■選手の大半が東南、西アジア出身選手 目指すのは地方創生と日本野球のアジア進出
野球が発展途上の東南、西アジア出身選手を中心とする異色のチーム「佐賀インドネシアドリームズ」が今季から独立リーグ「ヤマエグループ九州アジアリーグ」に準加盟し、参戦することになった。2024年4月13日、開幕戦を佐賀・武雄市のひぜしんスタジアムで戦い、宮崎サンシャインズに0―17と大敗も大きな一歩を踏み出した。
なぜ、独立リーグのチームがこれまでの慣例通り、日本人の選手でチームを結成せずに、東南アジア、西アジアの選手を中心で挑んだのか――。
選手はフィリピン、インドネシア、スリランカ、シンガポール、4つの国から集まった。24人のうち、19人が外国人。スリランカの選手の場合は軍隊に所属している者もいる。6年前、チームの代表である福原佑二さんが別の事業でインドネシアでの野球振興活動に参加した時のことをきっかけに、現地の野球の認知度や国のサポートを知る機会があった。その時、感じたことは、東南アジアは日本と違って、野球がマイナースポーツであるということだった。
しかし、野球を続けたい選手や、競技人口を増やしていきたい思いも強いことがわかった。選手たちの身体能力が高いため、方針や指導が行き届ければ、勝負なるだけでなく、大きなマーケットになることは想像できた。福原さんは「22歳以下のカテゴリーまでは競技人口が増えているのがわかってきましたが、日本のように社会人やプロのステージがないので、就職や結婚のタイミングで野球をやめてしまうことが多かった。なので野球が発展していかないと痛感しました」とプロリーグはないどころか、野球に必要な細かな技術を教えることができない環境を変えたいと思い始めた。
現地でプロリーグ設立の計画も立てたが、費用が莫大にかかる。野球がマイナースポーツの国で成功するとは言い難い。それならば、日本に集めて、期間を設けて、高い野球レベルの中で戦わせることができないか――。
日本に連れてくれば、選手のレベルは上がる。福原さんの構想に元ロッテの香月良仁さんが賛同し、監督に就任した。二人は社会人クラブチーム、熊本ゴールデンラークスの同僚だった。元プロ野球選手でありながら、営業力を兼ね備えている。ビジネスパートナーとして心強い仲間が加わり、プロジェクトは一気に加速していった。簡単にはいかないが、選手たちの野球技術の成長スピードは速かった。
選手たちは日本の野球を学び、吸収して、母国に持ち帰って、後身の育成に生かしていくだろう。東南アジア進出を検討している日本企業がスポンサーとなってもらえるのであればチームの運営ができる。そして、選手たちが母国に帰った時に、プロリーグや高くなったレベルの野球を広げていければ、その価値はどんどん上がっていく。さらに言うと、アジア諸国でのプレーや、引退後の指導者を含めたセカンドキャリアの部分でも、日本野球の可能性も広げることができる。
外国人主体のチームが9月までの半年間を日本でプレーするのは異例だ。選手たちは母国の野球振興や更なる成長のため、夢を追う。まだまだ課題はあるとはいえ、佐賀インドネシアドリームズの活動は、スポーツの力で地方を元気にし、経済成長が著しいアジア諸国と連携を深める新しいビジネスモデルの側面を持つのではないだろうか。
2002年に報知新聞社で記者職。サッカー、芸能担当を経て、2004年12月より野球担当。2015年まで巨人、横浜(現在DeNA)のNPB、ヤンキース、エンゼルスなどMLBを担当。2015年からは高校野球や読売巨人軍の雑誌編集者。2019年1月に退社。同年2月から5つのデジタルメディアを運営するITのCreative2に入社。野球メディア「Full-Count」編集長を2023年11月まで務める。現在はCreative2メディア事業本部長、Full-CountのExecutive Editor。記事のディレクションやライティング講座、映像事業なども展開。