スポーツは、真剣勝負ゆえに息をのむような戦いに引き込まれてしまうのだが、その中で起こるハプニングについつい笑ってしまうことがある。
それは緊張の裏返しで、こんな場面で「まさか?」という出来事が余計にその面白さを引き立ててしまうのだろう。
行司が吹き飛ぶ相撲が、初場所7日目(1月20日)に起こった。
横綱昇進がかかる大関・霧島と前頭3枚目・北勝富士の一戦。
闘志あふれる北勝富士が、先につっかけて仕切り直しに。
2回目の仕切りで立った両力士は、激しい突き合いを演じるが、引いた霧島を北勝富士が一気に土俵際に押し込んでいく。
その時に、丁度、霧島の後ろに回っていた三役格行司の木村容堂が、下がってきた霧島にぶつかって吹き飛ぶように土俵上に倒れ込んでしまった。
被っていた烏帽子は脱げ落ち、右の草履も土俵下に飛んでしまう。
土俵上で熱戦を繰り広げていた霧島と北勝富士には本当に申し訳ないが、そこからは行司の様子が気になって相撲どころではなかった(笑)。
綺麗な行司装束のまま転倒した木村容堂は、必死に起き上がろうとするが頭の上に烏帽子がない。まずは烏帽子を拾って、それを被るのだが、顎紐がなかなかかからない。それでも慌てることなく、まずは烏帽子をしっかりと被り直す。
今度は、片足の草履がないことに気づく。
この間も土俵上の相撲から目を離すことなく、必死で草履を探す。
その一連の動作がおかしくて、申し訳ないが笑いが止まらなかった。
それでも木村容堂のすごいところは、まったく慌てるような様子がなかったことだ。
草履は、何処に?
すると土俵下にいた呼び出しだろうか?
脱げた草履を土俵に戻してくれた。
この草履を木村容堂は、土俵の相撲から目を離すことなく、右足だけで探るように手繰り寄せて、これを見事に履いて、烏帽子と草履を取り戻したのだ。
その間、時間にしておよそ20秒。
ある意味では、見事な早業だった。
行司が吹き飛んで転んでしまったことには思わず笑ってしまったが、その後の対応にはむしろ「さすがプロフェッショナル」と唸らされる出来事だった。
烏帽子と草履を探しながらも、「のこった、のこった」と声を出しながらこの相撲を裁き、装束が整うと何ごともなかったように木村容堂は北勝富士を寄り切った霧島に軍配を上げて、最後に懸賞金まで渡した。
劣勢から巻き返した霧島の相撲も見事だったが、同じく劣勢から自らの装束を拾い集めて復活した木村容堂の落ち着きも素晴らしかった。
50秒の相撲に、力士のすごさと行司のプロ意識が詰まっていた。
何が起こるか分からないドラマ。やっぱり相撲は楽しいね!
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
2022年7月の参議院議員選挙で初当選。