ボクシングを始めて“心の強さ”を手に入れた 元プロボクサー・内藤大助氏が語る世界王者への第一歩(インタビュー全3回)#1
■いじめから立ち上がる…内藤氏が人生を振り返る
こういう機会はあまりないので、自分の生い立ちから話をさせてもらいますね。僕がボクシングを始めたきっかけは子どもの時に受けたいじめからなんです。大人になっても、いじめが怖かったんですよね。中学校の思春期のときに受けたいじめがつらくて…。
殴る、蹴る、仲間外れにされるとかもあったんですけど、一番つらかったのは、馬鹿にされる。“口撃”ですよね。陰口、悪口。あとはいじめっ子がパシリを使って、僕に攻撃をしてきたこと。羽交い締めにされて、ズボンとかも下されたりしました。
大人になってからも、なんだか怖くてね。いじめっ子たちに復讐したいなっていう気持ちはあるけど、無理やりそんなことしたらもう倍返しどころじゃない。そう思うと、怖かった。自分には青春がなかったな…。
僕は北海道から18歳で上京した。やっぱり、彼女とか欲しいと思った。でもね、もし彼女ができて、田舎に帰ったときにいじめっ子に会ったらどうしようとか常に頭の中にはありました。
上京して2年くらい経ったときのこと。僕は(建築)現場の仕事をやっていたんです。お昼休みに時間つぶしに本屋へ行きました。ふと、格闘技の雑誌に目が留まった。憧れがあったのだろうね。ボクシングやプロレス、空手、キックボクシングだったかな、とにかく格闘技の本を見た。どんなものなんだろうって見たのが最初でした。
パラパラと見ていたら、ジムの紹介の一覧があったんです。『あれ、このジム、家から近いぞ』と。ちょっとびっくりしましたね。2年も住んでいてこんな近くにボクシングジムがあったのか、と。ちょっと震えたんですね。もしかしたらここにいけば、自分に中で何かが変わるかもしれない、と。通えば「俺はいじめと決別できるかもしれない」って。20歳の大人なのに、まだ怖かったんだよね。プロのボクシングジムに通っているという実績を作りたかった。
ジムに通っていれば、田舎行ったときに“はったり”になる。『あいつ、東京に行って、ボクシングジムに通っているらしい』とか噂が立てば、いじめていた奴らがちょっと自分を避けるんじゃないかと思った。
そういう動機で始めたボクシングだけど、すごく楽しかった。スパーリングとか、毎日のようにやっていた。ヘッドギアをしてさ、かっこいいわけですよ。こんなところじゃうまくならないと感じたジムもあって、いくつか変えたけど、僕の中で『これだよ、これ!』と思ったジムにも出会えた。そこのジムに入ったのが21歳だったかな。仕事が終わってから毎日通ったね。夜の9時からやったね。一生懸命、練習をやった。
ジムに来る他のメンバーもいた。1時間半くらい、びっしりやってね。家帰ったら飯食って、寝て、起きて、仕事に行って、またジムに行く。その繰り返し。楽しかった。
僕は何のためにやってるのかというと、“脱・いじめられっ子”ということだった。でも、毎日、毎日、仕事が終わって、ジム通いをしているうちに変わっていった。仲間ができて、みんなと共通の考え、思いが生まれた。どういう考え方でボクシングで強くなりたいのか、共通の言葉があるわけです。だから自然と話も合うし、仲も良くなって、友達もできました。毎日、毎日、スパーリングやって、ボコボコにされましたけど、それでもまた頑張ってやりました。
いじめられっ子から脱したい!と宣言して始めたボクシングだったけど、そう思い返したら、いじめってもうなんか大丈夫というか、例えば、田舎に帰っていじめっ子に会ったとしても、「俺もう大丈夫」だと思えるようになった。
喧嘩をする気はないし、僕はもう『ちょっと来いよ』『金よこせよ』『殴らせろ』って言われたときに「いや金、やんねよ」とか、はっきりと自分の意思を言えると思えた。ボクシングをやったことによって、かっこつけるつもりとかはないですけど、心の強さを手に入れたというふうには思った。当初の目的である“脱・いじめられっ子”宣言は達成できた。体の強さもそうですし、精神的な強さを手に入れた。
本来だったら、もうやめてもいい状況だけど、辞める気にならなかった。“脱・いじめられっ子”は達成した。じゃあ、次の目標を立てようって言って、新たな目標を立てたんだよね。なぜかというとボクシングを辞めたくなかったから。楽しかったから。次に目標を立てたのが「よし。プロボクサーを目指してみよう」って。「絶対なれる」と思っていなかったから、もう異次元の世界だと思っていたんです。プロボクサーなんて。
(第2回に続く)
プロフィール
内藤 大助(ないとう だいすけ)1974年8月30日生まれ。北海道出身。卒業後に上京し宮田ボクシングジムに入門。1996年にプロデビューし、1998年12月に全日本フライ級新人王を獲得。2004年に日本フライ級王座を獲得。2006年には日本・東洋太平洋王座の2冠。2007年には3度目の挑戦で見事、WBC世界フライ級王座を獲得した。現役引退後はタレントや講演活動などを行っている。