令和の断面

【令和の断面】vol.176「原監督には他球団のユニフォームを着て欲しい」

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    「原監督には他球団のユニフォームを着て欲しい」

     巨人軍原辰徳監督が、今季限りでの辞任を表明した。
     2年連続のBクラス。
     3年契約をあと1年残していたが、ここが潮時と考えたのか?彼の指揮官としての実績(プライド)が許さなかったのか?いずれにしても潔い彼らしい身の引き方だった。

     巨人の監督を務めること3度(02年~、06年~、19年~)合計17年。
     その間の勝利は巨人歴代監督最多の1291勝(1025敗)。
     リーグ優勝9回、日本一3回。
     それは文句のない名監督の成績である。

     加えて、これだけ長く巨人の監督を務められた理由は、その成績だけでなく選手時代から「若大将」と呼ばれてきた明るく爽やかなキャラクターもあってのことだ。常に前向きで、野球界の将来を考えて正々堂々とした野球を展開してきた。
     スター性あふれる存在は、巨人ファンだけでなく他チームのファンからも愛されるものだった。

     読売新聞、日本テレビ、メディアを親会社にする巨人にとっては、原監督のフェアな言動と端正な容姿も、親会社と球団のイメージアップに寄与し、ファン獲得には欠かせないものだったのだろう。

     そうしたこともすべて含めて、原辰徳という人は、選手、監督時代を通じて巨人のイメージを背負い、野球界のステイタスを高めてきた功労者だと思う。

     私は、原監督と同じ昭和33年生まれだが、我々の世代を代表する選手であり、監督であることは間違いない。
     それだけに同期の監督がユニフォームを脱ぐことには、一抹の寂しさを覚えるが、彼もしばらくはのんびりしたいかもしれない。

     たとえユニフォームを脱いでもさまざまなメディアが、明るく快活な彼を解説やコメンテーターとして彼を起用することになるだろう。もしかするとこれまで以上に露出が増えて、毎日のように原氏を見られるようになるのかもしれない。

     それはそれで彼のファンにとってはうれしいことだろうが、私は今後の彼に是非やってもらいたいことがある。
     それは、巨人以外の監督だ。

     かつて巨人OBの王貞治氏が、当時のダイエー(現ソフトバンク)の監督に就任したことで、パ・リーグの人気と注目が一気にアップした。おかげで今のパ・リーグは、セ・リーグと変わらない人気を誇っている。

     それだけの影響力をもって今の野球界を改革できるのは、原辰徳氏しかいないと思うからだ。

     原氏に期待するのは、巨人だけでなく野球界全体の人気回復と子どもたち(次世代)の野球への関心を高めてもらうことだ。

     少年野球の選手数は激減している。
     これは少子化やスポーツの多様性にも起因しているが、それでも今の状態で手をこまねいているわけにはいかない。
     明るい野球、楽しい野球、世界につながる野球。
     WBCで世界一の監督にもなっている原氏には、巨人だけにこだわることなく、野球界全体の底上げに貢献してもらいたい。

     今後は、巨人の「オーナー付き特別顧問」への就任が決まっているが、彼にはまだまだユニフォームを着て欲しい。
     巨人以外のチームを率いて打倒巨人を目指すのも、彼には似合う気がする。

     背広よりもユニフォームでいて欲しい。
     それは多くの野球ファンの願いでもあるはずだ。

    青島 健太 Aoshima Kenta
    昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
    慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
    同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
    5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
    オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテネで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
    現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。
    2022年7月の参議院議員選挙で初当選。
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