元横浜ベイスターズ投手が東京のど真ん中で活躍 人気焼肉店オーナーとなった岡本直也さん、10年目の“直球勝負”(インタビュー全3回)#1
(取材日・2022年10月13日)
――店を構えて10年目に突入しましたが、感触はいかがですか?
いや、まだまだじゃないですか。思い描いていたイメージよりは遥かに悪いです。
――この10年間、まだ険しい道を歩いているような感じですか?
そうですね。まだまだ険しい道を歩いている印象です。苦戦していると思います。
――思い描いているのはどんなイメージなのですか。
笑い話になるかもしれませんが、10年経てば、100店舗くらい持っているイメージでした。店舗展開することが全てではないんですけど、規模を拡大して、色々な事業を手掛けていて…みたいな。最初が焼肉だっただけであって、特に別に焼肉屋がどうしてもやりたくて、この道に進んだというわけではありませんでした。
――焼肉屋で勝負していこうと思ったきっかけは?
10年程前は焼肉屋は存在はしていましたが、今ほど多くなかったです。叙々苑さんのように王道といいますか、トップクラスのお店はもちろんありました。ちょうど、赤身ブームがあったんですが、そのタイミングでお肉を仕入れることができるという話になりまして。まだ若かったので、経営のこととか深く考えてなくて、計算してやったっていうわけではないということが、本音の部分です。飲食業ではない仕事も探したりしていましたので。
――高校(岡山理大付)の後輩の存在が焼肉店を開く大きなきっかけになったと聞きました。
ある時、渋谷で一学年下の後輩にたまたま声をかけられまして。後輩の父親が牧場を経営していて、自分も肉屋をやろうと思っていて、東京で修行をしていると話をしていたんですね。(何年か時間が経ってから)それを思い出して、電話したんです。もう肉屋を始めていたのですが、全然お客さんがいないと言っていたんです。
――一つの縁ですね
焼肉屋をやるにしても、何か武器がないと勝てないなと思いました。どの仕事もそうかもしれませんが、知り合いがいて、仕事もらえないと独立でしてもやっていけない、とかよく聞くじゃないですか。決定的なものがあまりなかった。後輩の父親の牧場が神戸牛の有名なところでしたので(最初は)神戸牛を出していました。もしも、そこが違うブランド牛だったらそれで勝負していたと思います。今思うと(後先考えずに開店まで突き進んだ)勢いもあったかなと。
――今ではYouTubeなどで包丁さばきを披露していますが、料理などは好きだったんですか?
全くしていませんでした。包丁は持ったこともあまりなく、高校のときに先輩のカップラーメンを作るくらい。そんな(料理の)レベルでした。
――店舗を出してから、最初はどのような流れだったのですか?
はじめは料理人が厨房にいて、僕はホールをやっていました。野球選手って要領がいい。先輩の顔色を伺っていたので、いろんなことに気が付きます。料理を出しているうちに、何かもっとコストを削れるんじゃないかな、これって(経営的に)無駄なことが多いのではないかと思うようになりました。
――いろいろと目に留まり、要求を出すようになっていった?
素人ながらに(経験値のある厨房スタッフに)意見を言ったらなかなか受け入れてもらえなくて。僕は専門じゃないので、そうか…と思ってやっていたのですが、いや、なんか違う、と。これはちょっと勉強した方がいいなと思い始めました。
――本とかを買ったり、他の焼肉店をまわったりしたのですか?
まだ、その携帯電話もYouTubeなどもないので、本を買いました。当時、焼肉ふたごという有名店があるのですが、社長さんと親しくさせていただいていて、お話を聞きました。発見がたくさんあって、これはもう、自分がホールではなくて、厨房と両方できるようになればいいなと思いました。いつか、周りに誰もいなくなっても、僕がいれば店はできると思ったりもしました。肉は切れて損はないと思い、そこから今のように包丁を持って、肉を切っています。
――売上と在庫、仕入れの面でいろいろと変わっていきましたか?
最初は売り上げとかどうとかはわからなかったんですけど、やっていくうちになんか合わないな、みたいな感じになっていきました。合わないというか、表現は難しいんですが、在庫が残っていて、お金が入ってくる方が単純にいいわけじゃないですか。それが売り上げも立っているのに、あれ?もうお肉の在庫がないの?みたいな感じでした。1g、2gの世界ですが、1年間に換算すると、かなりの金額に変わります。例えば、こういう切り方をすればもっとお客さんが満足いく、端っこの肉を使ってもすごく美味しいものが作れるなどです。できることをしました。もちろんいいお肉を提供します。そういう細かいところをお金に変えるのも商売なのかなと思っています。そういうのが結構、得意でした。
――なんか、ピッチングと似ていますね。大胆かつ、繊細…みたいな部分が。
結構、現役時代からトレーニングコーチに指示されたメニューでもちょっと無駄なんじゃないかな、と疑問を持つタイプでした。自分が納得のいく練習だったら、何時間でもできました。納得いかない練習はやりたくなかったんです。なので、結構、僕はコーチに意見を言っていました。2005年、謹慎させられたことがありました。コーチにつかみかかったこともありました。この練習をしてクビになるならばいいけど、これはどう考えてもおかしいと思ってしまったこともありました。結構、そういう細かいところに気が付いてしまうというのはあったんですよね。
――なるほど。だから、自分で1からこだわりを持ってやれる方がいいということですね。お店を出して10年が経って、今はどちらかというマネジメント側ですか?
いえ、厨房にも立っています。東京・六本木のお店だけでなく、週の半分ぐらいは千葉と横浜にも店舗があるので、そちらにも行きます。厨房立って、指導したり、在庫管理したりしています。
――メニューを見ると、こだわっているのは肉だけではないことはすぐに想像がつきます。
肉につけるタレとかは、おそらく1000回くらい試作していると思うんですけど、あんまり伝わらないですよね…。楽をしようとすれば、タレも結構、簡単もできるんですが、なんか僕ちょっとこだわり強くて。(こだわりは)すごく良い面もあるんですけど、悪い面でもあって……、なんかそういうのとかそうですね。(まだ完成形ではないですが)自分の舌も歳をとってくるのでね…。いろんな人のアドバイスとかを聞いて、やっているけど、試している感じですね。
――厨房にも立ち、在庫管理と忙しい。そういう業務を確立してから、どれくらいになるんですか?
もう創業の時くらいからなので10年近くにはなりますかね。もうずっとお店に立っています。家にのんびりしているという時間はあんまりないかもしれないですね。ダメなのですけど、不安なんです。休みの日でも覗きに行ってしまうこともありました。駄目だなと思うんですけどね。最近は家族と一緒に出かけることは増えました。
――店を構えて10年。人気店になったと思うのですが、ご自身の中で軌道に乗ったという感覚はいつ頃からありましたか?
いや、今も軌道には乗ってないと思うんです。軌道に乗ると感じることってあるんですかね…。常に不安と戦っている感じですね。最初、利益が出たので簡単じゃないか!と思った時期はあったのですが、そううまくは続きませんでした。利益があっても、出費も多くて。先ほども言いましたが、利益出ているが、在庫がない。おかしい、どこにお肉やお酒はいったんだみたいなことの繰り返し。そうしているうちに、安定するようにはなってきますけど、それが軌道に乗るというのであれば、そうかもしれないですけど…まだまだ不安です。
――東京の中心、六本木という立地で勝負していることも意思が伝わってきます。東京で勝負するんだ、と。
なぜ六本木で?ということも、よく聞かれるんですけど、野球選手だったら強いところでやりたい!みたいなのもと同じ感じですよ。中学生だったら、大阪桐蔭に行きたいのと同じです。少し離れたところで勝負して勝っても、本当にそれが勝ちなのか。そこで繁盛店作れるなら、六本木で作ってから(他のエリアに)行けばいいのではないか。人が一番集まっているところで勝負がしたいと思いました。
(第2回に続く)
プロフィール
岡本 直也(おかもと なおや)
1983年7月28日、岡山県倉敷市生まれ。岡山理大付で甲子園出場。2001年のドラフト会議、4巡目で横浜ベイスターズから指名を受け入団。その後、メキシコ、米マイナーリーグを経て、2011年にヤクルト入団。同年に現役引退し、2012年に「焼肉 BEEFMAN」を開店した。
店舗情報
店名 | 焼肉 BEEFMAN |
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住所 | 東京都港区六本木7-16-5戸田ビル1F |
アクセス | 都営大江戸線 六本木駅(7番出口)徒歩2分 地下鉄日比谷線 六本木駅(4b出口)徒歩2分 |
電話番号 | 03-5785-2082 |
営業時間 | 月~日、祝日、祝前日17時~23時30分 (料理L.O. 22時50分 飲み物L.O. 23時) |
定休日 | 不定休 |
ホームページ | https://beefman.net |
座席数 | 32席 |
駐車場 | 近隣にコインパーキングあり |