「若隆景は言い難いだけじゃない」
「きゃりーぱみゅぱみゅ」と並んで発音の難しさでアナウンサーや放送関係者を悩ませてきた大相撲の「若隆景」。「きゃりーぱみゅぱみゅ」はドラえもんの口調で言うとうまく言えると誰かが言っていたが、やってみるとなるほど噛まずに言える。
「若隆景」の克服法もきっとあるのだろうが、自分なりには「若/隆景」「わか/たかかげ」と区切って言うと噛まずに言える。ただ慌てて一気に読もうとするとグシャグシャになってしまう。
しかし、名前遊びはもう終わりだ。
「若隆景」が名前の言い難さだけで注目されるようなことは、もうないだろう。
大相撲春場所千秋楽(3月27日)、若隆景と高安との優勝決定戦は本当にすごい相撲だった。この日まで両者は、ともに12勝2敗で並んでいた。ところがどちらも本割で負けて12勝3敗同士で優勝決定戦にもつれ込む。
勝った方が優勝。
しかもどちらが勝っても初優勝である。
こんな一番で緊張するなというのは無理なことだ。
もう日ごろの自分自身を出す以外にない。
そんな緊張感が、この相撲をますます面白くした。
熱戦を振り返ろう。
立ち合いから高安が「かち上げ」でぶつかっていく。その圧力に押された若隆景が劣勢になるが、ここからの足腰の粘りが彼の武器だ。突き押しで一気に攻めてくる高安の攻撃を下からかいくぐってその勢いをかわす。それでも元大関の馬力は依然として健在だ。若隆景もよく防戦したが、最後は土俵際に追い詰められてしまう。
俵に足が掛かった若隆景に体を寄せた高安が、落ち着いてあと一歩踏み込めば、若隆景はそのまま土俵を割るしかなかっただろう。
ところが勝負を急いだのか、高安が上体だけで若隆景を押そうとしたのでその圧力に力がなかった。若隆景は、右膝が土俵に着きそうなくらい曲がって、もう絶体絶命の体勢だったが、ここから驚異の粘りを見せる。俵の上をまるで綱渡りのように右に回り込んで高安の左腕をつかむと、すぐさま右手で高安のまわしに手をかけて出し投げを打った。まるでサーカスのような相撲だった。俵に立つように若隆景の体が残り、高安が土俵下に落ちていった。
最高にスリリングな相撲だった。
若隆景の新関脇での初優勝は、双葉山以来86年ぶりの快挙となった。
優勝インタビューで印象に残ったのは、初優勝にもかかわらず若隆景がもう次を見据えていることだった。
「来場所からが大事。またしっかり稽古して自分の相撲がとれるようにしていきたい」
負けた高安も立派だった。悔しさの中で彼ももう次を見ている。
「すべてを出し尽くしました。負けたのでまだまだ稽古が足りないということ。この気持ちを忘れずにもう1回挑戦したいです」
この相撲の後で、感想を求められたテレビ解説の北の富士さんが言った。
「なんかすっきりした」
名解説だった。
きっとこの相撲を見ていた人は、みんな同じことを感じていたと思う。
両者が力の限りを尽くして真っ向からぶつかっていく。
そしてお互いに最後の最後まで諦めない。
いったいどちらが勝つのか?
それはドラマ以上のドラマだ。
こういう一番があるから相撲観戦はやめられない。
「若隆景」
言い難いどころか、もはや誰よりも取り難い力士だ。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。