令和の断面

【令和の断面】vol.89「日本ハム栗山監督の退任を惜しむ」

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    「日本ハム栗山監督の退任を惜しむ」

     何とも寂しいニュースだが、これも仕方がないのか。
     来る人がいれば去る人がいる。プロ野球の変わらない新陳代謝である。
     北海道日本ハムファイターズを10年間率いてきた栗山英樹監督(60歳)が、今シーズン限りで退任することになった。

     18年のCS(クライマックスシリーズ)進出を最後にBクラスが続いていた。19年5位、20年5位ときて今シーズン(10月18日現在)は最下位に低迷している。
     10年間で2度のリーグ優勝、16年には日本一に輝いているが、ここ数年の成績には本人も納得できていないだろう。プロ野球で指揮を執る以上、残念だが交代も仕方がないのかもしれない。

     しかし、栗山監督の功績は、チームの勝敗だけに留まらない。若い選手の可能性を引き出し、外国人を含めた多様な個性を戦力として活かし切ったことにある。
     その象徴は、言うまでもなく大谷翔平である。
     大谷が日本ハム(栗山監督のいる)に指名されなかったら、二刀流で大活躍を続ける今のエンゼルスでの姿は間違いなくなかっただろう。

     栗山監督は、就任以来、選手の名前を苗字ではなく、必ず名前で呼んでいる。
     中田のことは「翔(しょう)」であり、西川のことは「遥輝(はるき)」であり、斎藤のことは「佑樹(ゆうき)」である。監督に名前で呼ばれる選手たちの気持ちはどんなものだろうか。感じ方は人それぞれかもしれないが、監督との距離感が縮まることは想像できる。栗山監督はそうやって選手とのコミュニケーションを図り信頼関係を築いてきたのだ。

     だからもちろん大谷のことも入団した時から「翔平(しょうへい)」と声を掛け続けた。
     大谷との二人三脚については語ることが山ほどあるが、ここでひとつ挙げるなら栗山監督が防波堤になって一貫して「大谷の二刀流」を守り続けたことだ。
     入団当初から「二刀流」は、話題と注目と批判を集めた。
     今でこそ、日米のファンを巻き込んで大絶賛の二刀流だが、当初は批判の方が多かった気がする。球界の大御所たちは、打者でも投手でも実績がないのに、「両方やりたいというのは生意気だ」という意見を並べた。
     でも、それもある意味ではもっともなことだ。
     常識的に考えれば、どちらかに絞った方が成功への近道だし、多くのOBが打者でも投手でも、どちらかに専念すれば十分に活躍できると思っていたからだ。

     しかし、大谷が幸運だったのは、栗山監督がそうした常識に縛られることなく大谷の二刀流の可能性を誰よりも信じてくれたことだ。

     大谷は、花巻東高校・佐々木洋監督の言葉を今も大事にしている。

     それは「先入観は可能を不可能にする」というものだ。

     大谷本人はもちろん、栗山監督も「二刀流は無理だ」という先入観を持っていなかったことが、常識を覆すことができた理由だろう。

     誰にでも優しく先入観なく人と接する栗山監督だが、一度決めたことや、やらなければいけないことには、鬼の決断と行動力で立ち向かう人だ。
    大谷翔平の日本ハムでの5年間。
     その間ずっと大谷の前に立ち続けて、余計な批判をはねつけ、ブレることなく大谷の二刀流を守り続けたことが、今の大谷翔平を生み出している。

     このことだけでも、栗山監督は称賛に値する。

     彼の柔軟な発想とコミュニケーションを大事にしたチームマネジメントは、平成から令和を代表する監督であったと言えるだろう。

    青島 健太 Aoshima Kenta

    昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
    慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
    同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
    5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
    オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
    現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。

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