「智弁和歌山は美しかった」
夏の甲子園、史上初の兄弟校同士の決勝(8月29日)となった智弁和歌山(和歌山県)対智弁学園(奈良県)の試合は、9対2で智弁和歌山が勝って、21年ぶり3度目の優勝を果たした。
長い間スポーツを観てきて思うことがある。
大きな大会で優勝したり、大事な試合でしっかり実力を発揮できたりするチームには、必ずその強さに理由がある。それは強いチームの条件と言ってもいいだろう。
例えばこの対戦で言えば、智弁和歌山は決勝戦を含む4試合すべてで二ケタ安打を放っている。しかも全4試合で3回までに先取得点を奪い、すべてそのまま逃げ切っている。決勝戦も1回表に4点取っている。投手陣の安定感も言及すべきだろうが、この攻撃力だけを見ても、序盤の先制攻撃で相手を沈めてきたことがわかる。優勝の原動力は、この攻撃性にあると言えるだろうし、ここに強いチームの条件を見ることができる。
しかし、こうした強さとは別に、優勝が似合うチーム、優勝に値するチームという姿勢(戦いぶり)もあるような気がする。
その点、今回の智弁和歌山は、優勝に値する品格を備えたチームだった。
9回裏、2アウトランナーなし。
打席には智弁学園の代打・足立風馬選手がいた。
カウント2ボール2ストライク。
ここで智弁和歌山のエース中西聖輝投手は、左打者のひざ元に沈む変化球を投げて空振り三振を奪う。
優勝決定の瞬間である。
普通ならここでキャッチャーの渡部海選手がピッチャーの下に駆け寄って、内野手、外野手が一緒になって歓喜の輪ができるのだが…。
ところが今回の優勝では、その光景を見ることがなかった。
渡部捕手も中西投手も、喜びを大きなアクションで表現することもなく、すぐさまホームベース付近に並んで、智辯和歌山ナインは試合終了の挨拶をした。
それは、相手への敬意?
コロナ禍での配慮?
さまざまな思いの中でコントロールされた感情だったのだろう。
キャプテンの宮坂厚希選手が、そのことについてインタビューで語った。
「『礼に始まり、礼に終わる』と言うことで、礼で終わってから喜ぼうと話していました」
それは、観ていて本当に気持ちの良い光景だった。そして優勝がよく似合うチームだと思った。
野球は判断のスポーツだ。
さまざまな状況の中でいろいろな判断を瞬時に迫られる。
優勝と言う歓喜の中でも、彼らは自分たちの感情をコントロールして冷静な判断を下していた。それは彼らの強さと決して無縁ではないだろう。こうしたことができるチームだから強かったともいえるはずだ。
ただ、これが強いチームの条件か?といえばそうではない。
そんなことができなくても強いチームはある。
そこにスポーツの難しさと面白さがある。
それでも私は、美しいチームが好きだ。
スポーツに、選手たちのマナーと誇りを見たいと思っている。
それは、たとえ弱いチームでも発揮できる要素だ。
だから、こうしたことは強いチームの条件ではない。
あえて言えば、美しいチームの条件だ。
智弁和歌山は、どこよりも強くて、美しいチームだった。
そして、私は改めて思った。
美しいチームが好きだ。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。