「トレードで蘇った澤村投手」
巨人からロッテにトレード(両球団から9月7日に発表された)になった沢村拓一投手(32歳)が、新天地で存在感を発揮している。
トレード翌日の8日、日本ハム戦にいきなり登板。6回1イニングを投げて3者三振に打ち取った。
11日の日本ハム戦でも、8回無死2塁のピンチでマウンドに上がり、この時も3者凡退に切っている。
これで2戦連続の「ホールド」でいずれもチームの勝利に貢献している。
19日の日本ハム戦でも7回1イニングを任されて、3者凡退。
20日の日本ハム戦では、延長10回に登板。2アウトから3人連続の四球でヒヤリとさせたが、後続をセカンドゴロに打ち取ってチームが勝利、ロッテでの初セーブをマークした。
沢村にとっては、このセーブが19年5月17日(中日戦)以来、なんと492日ぶりのセーブというのだから、このところの巨人では、まったく活躍できていなかった(あるいは、大事な場面を任されることはなかった?)ということだろう。
巨人では背番号「15」を背負って投げていたが、ロッテでは心機一転だろうか、
若手のような背番号「57」で再スタートを切っている。
沢村は巨人生え抜きの看板投手(2010年ドラフト1位)。
こうした選手のトレードには、賛否両論があると思うが、期待されながら伸びていない選手や、全盛期の調子を取り戻せない選手には、有効な転機になることが多い。同じように巨人から日本ハムにトレードされて大化けした大田泰示選手が良い例だろうが、今回の沢村も彼にとっては必要な環境変化だったのだろう。
どんな仕事でも、誰にとっても、長く頑張ってきた職場を離れることはつらいことだが、経年疲労やマンネリを打開する意味においては、転属や転勤も大事なことだろう。
特に野球選手の場合は、他の選手との兼ね合いで出番に恵まれないケースや、なかなか調子が戻らないスランプのような状態に陥った時には、思い切って環境を変えることが再生の転機になったりする。
その点、沢村の移籍は、トレードの効能が非常によくわかる典型的なケースと言えるだろう。
才能に溢れた沢村投手は、早くからその球威を評価され、「先発」に「抑え」に活躍を続けていたが、つねにコントロールの悪さに悩まされていた。せっかく自軍がリードしていても、四球の連発で自らピンチを招いてしまう。そこを今度は力で打者をねじ伏せようとして、さらに力んで制球を乱してしまう。いつも独り相撲でゲームを壊してしまう。そうなると首脳陣やチームメイトからの信頼をどんどん失っていくことになる。
本来は、相手と戦うのがスポーツだが、沢村投手はいつの間にか自軍のベンチと戦うような精神状態になっていたのだろう。
こうなってしまうとネガティブなことばかり考えてしまう。
四球を出すだけで交代を意識してピッチングが小さくなってしまう。
これでは、自分の力を思うように発揮でできない。
新しいチームで、新しい背番号を付けて、新しいバック(野手)を背に、新しいマウンドに上がる。
その状況が、新しい心をつくる。
トレードが作る環境は「初心」に帰ることだ。
余計なことを考えずに、相手の打者に向かっていく。
きっと沢村投手も、忘れていた感覚を取り戻していることだろう。
大切なことは、どんなことでも「真新しい気持ち」で臨むこと…なのだ。
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。