「野村野球は、これからも生きていく」
プロ野球界の至宝、野村克也氏が亡くなった。
84歳。
生前、本当にたくさんのことを教えていただいた。
心からご冥福をお祈りいたします。
野村さんは、よくこんなことを言っていた。
「野村」引く「野球」は「ゼロ」
(野村)-(野球)=(0)
私から野球を取ったら何も残りませんよ。
この式(言葉)は、自分には野球しかないという謙遜でありながら、一方ですべてを野球に賭けてきたという誇りでもあるのだろう。
例えばこんな話も思い出す。
いつもおしゃれな野村さんに洋服の着こなしについて尋ねたことがある。
すると返ってきた答えは意外なものだった。
「いつもその日の服装を自分で選んで着るんですよ。そして、それをサッチー(沙知代夫人)に見てもらって、オーケーが出たらその服で出かける。ダメなときはもう一度着替えて見てもらうんですよ」
奥さんのセンスに信頼を寄せる夫婦愛の詰まった話だが、着こなしもすべて奥さんに任せて、自分は野球だけに専念するという姿がそこにある。
これも(野村)-(野球)=(0)ということだろう。
選手、監督として数々の功績を残してきた野村さんだが、今、この令和の時代から「野村野球」というものをもう一度評価するなら、それは彼がプロ野球に数学(分数)を持ち込んだことだろう。
母数に「プレーの総数」を置き、分子に「知りたいプレー(条件)」を載せる。
するとその知りたいプレーが、どのくらいの確率で起こるのかが数値化される。
あるいは、それが選手にかかわる数字ならば、その選手の特徴とプレースタイルが数学的に言語化される。それを試合前に確認できれば、往年の受験参考書ではないが「傾向と対策」を打ち出すことができるのだ。
これを持って戦うのが「弱者の野球」であり、野村さんが標榜した「ID野球」の本質である。
つまり漠然と相手と戦うのではなく、先方の特徴やスタイルを知り、根拠を持って取るべき戦術を遂行する。それが自信や覚悟にもつながり、たくましい戦いをチームにもたらすことになる。
こうしたデータを活用する野村野球がどうして令和的かといえば、もう説明はいらないだろう。野球にとどまらず、いまやあらゆるスポーツが「ID野球」よろしくデータを分析して、選手のスキルアップや戦術構築につなげている。もはやこれをやらない選手やチームに未来はないと言ってもいいくらいだ。
映像の解析も必須分野だ。
自分のプレーや相手の戦い方を映像で見ることによって、さまざまな気づきやヒントを得ることができる。こうした視覚的な情報が、選手の成長を大きく飛躍させる。令和のスポーツ界は、データと映像の時代だ。
野村さんは、このIT時代のはるか前から、電卓の時代、いや「そろばん」のころから、今につながる先駆的なアプローチに取り組んできた。これは野球界だけでなくスポーツ界全体の遺産と言っていいだろう。
1954年、峰山高校からテスト生で南海に入団した野村克也。
どうしたらこの世界で生きていけるか。どうしたら一流投手を打つことができるか。どうしたらもっと稼ぐことができるか。
逆境の中から彼が見出したものが「ID野球」であるならば、令和においても「窮すれば通ず」は、言い得て妙である。
野村野球は、これからも生きていく。
青島 健太 Aoshima Kenta
昭和33年4月7日生/新潟県新潟市出身
慶応大学野球部→東芝野球部→ヤクルトスワローズ入団(昭和60年)
同年5月11日の阪神戦にてプロ野球史上20人目となる公式戦初打席初ホームランを放つ。
5年間のプロ野球生活引退後、オーストラリアで日本語教師を経験。帰国後スポーツをする喜びやスポーツの素晴らしさを伝えるべくスポーツライタ―の道を歩む。
オリンピックではリレハンメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレークシティー、アテナで、サッカーW杯ではアメリカ、フランス、日韓共催大会でキャスターを務める。
現在はあらゆるメディアを通して、スポーツの醍醐味を伝えている。