アメリカにわたって以後、久しく会う機会もなかったが、今回こんな形で再会できた。引退後、水尾がイタリア料理店のオーナーシェフになるまでの、努力と苦労話をたっぷり聞くことができた。野球界にはきっぱりと別れを告げた水尾だが、今の仕事に至る過程には、野球で培った強い精神力があればこそできた、口には出さないけれど、「野球人・水尾」の真骨頂を見たような気がした。
引退後は野球界に一切かかわらないと心に決めていた
中根:引退したら、こういう料理の道に進みたいと、ずっと考えていたの?
水尾:いや、特には考えていなかったです。野球ができるうちは野球のことだけ考えよう、と思ってやっていましたから。ただ、その間に、一つだけ決めていたのは、野球を引退するときには、必ず、野球界を離れよう、と。
中根:コーチとか、フロント入りしたいとかということも考えなかった。
水尾:もう、一切、野球に携わることはやめよう、ということは決めていました。実際、それまで、野球しかやったことなかったわけで、すべてはゼロからです。よく言えば、何でも選べるし。一生涯かけて、残りの人生をかけて、ずっと向き合えるものは何か。それを考えた時に、料理だったら、年齢が行ってもやれる。そう決めたら、一から学んだ方が早いと思って、料理学校に行きました。
元プロ野球投手 水尾嘉孝氏
中根:野球選手で、辞めてから飲食店を始める人は結構いる。実際、僕も一度やったことはあるんだけど、どんな店にしろ、知り合いから紹介されて簡単なノウハウだけを習って始めるとか、チェーン店に入れてもらうだとか、そういう人が多い。水尾のようにイタリアンレストランというのもなかなかいないし、まして、料理学校に通って、勉強して、自分で厨房に立って切り盛りしてという人は、なかなかいない。まず、なぜイタリア料理だったんですか。
水尾:僕は食べるのが好きなんですが、素材重視の味が好きで、フレンチのような重たいソースを使った料理よりも、新鮮な素材を少し焼いてとか、少しゆでるとか、そういう食べ方が好きだったんですね。そうしてみると、和食か、イタリアンのどちらかかなという印象を持っていました。ただ、和食はその店の流儀とか、そういうのがあって、学ばせてもらうことも、なかなか簡単にはいかない。
中根:どこかの店に修行に入って、弟子として習って、というほどの時間もないかもしれないな。
水尾:そうですね。和食は、そういう流儀が、一流のお店になればなるほど、あるじゃないですか。それだったら、イタリアに勉強に行った方が早いかなと思ったんです。実際、イタリアにも行って、いろんなところの料理を食べてみました。だけど、一言で言うと、日本とイタリアでは食材が違うんですよ。イタリアの食材を使った料理と、日本の食材を使ってアレンジしたイタリア料理とはちょっと違うと感じて。日本でやるんだったら、日本の中で四季折々の食材を探しながらやる。そうしていかないとダメかなと思ったんです。それで、日本のお店で勉強させてもらおうと。
中根:乱暴な言い方かもしれないけれど、日本風のイタリア料理ということですね。
水尾:そうですね。目的は、おいしいものを提供したい、ということなので。僕自身、パスタも好きだったし、料理はイタリアンで、と決断して、日本にあるイタリア料理店で学ばせてもらいました。
中根:料理学校も、イタリア料理の専門コースで?
水尾:いえ、学校では、和洋中すべてを教えてもらいました。それに加えて、イタリア料理の専攻を。あと、経営学とか、店をやっていく上で必要な科目を選んで学びました。
中根:その時は、まるっきり料理はやっていなかったんでしょ。
水尾:何も知らないんだから、まず、きちんとした知識をつけなければならない。でも、一方で、知識だけでは話にならないから、料理屋さんに行って、仕込みとかを教えてもらおう。どんな下処理が必要で、どれだけしんどいのか、それを分からなければいけない。イタリア料理のお店に入れてもらって毎日、朝7時くらいにお店に行って、仕込みを手伝わせてもらって、夕方までいて、夜の6時から学校に行く、そういう生活でした。
ジョカトーレ定番のモッツァレラとバジルのトマトソース
中根:すごいね。それをどれくらい続けたの。
水尾:学校は1年半、その間、お店で下働きをさせてもらって。そのあとにイタリアンのお店で働かせてもらって。料理の道に行くって言ったときに、周りのみんなに止められたんです。そんなに甘い世界じゃないよ、と言われました。やめとけ、と。さんざん言われました。ただ、自分がやってみて、技術を高めるための勉強は続けなければならない。そこのところの大変さはあっても、体力的には何の心配もない。そりゃ、はるかにプロ野球の方が、厳しい、しんどかったと、僕は思いました。
中根:料理学校で一緒に学んでいた若い子は、「しんどい」って、よく言うし、話も合わないというようなことも言っていたじゃないですか。
水尾:そうですね。でも、学校に友達を作りに行っているわけではないので(笑)。苦しい期間は、少しでも短い方がいいわけで。そう思って、集中して勉強していました。
中根:高校、大学時代とは、全然違うよね。ある意味、一番勉強したんじゃないの。
水尾:なんていうんですかね。野球に関しては、子供のころからの延長なので、ある程度自分が目指すものとか、どうしなければならないというのがわかっていて、それに向かってやっていたのが、料理の世界は、もう何を学べばいいのか、全然わからない。とにかく、何もかも学ばなければいけないということで、今まで使ったことのない気の張り方というんですか。そういうところはありましたね。
中根:料理の道で生きていくという強い意志だね。
水尾:まあ、野球界でやってきた、その自分の過去が消えるわけではないですし。そのうち、生計を立てられるようになってから、「野球ってよかったなあ」と思えるようになって、またそこから戻るのはありだと思うんですよ。いつまでも野球しかないとなると、結局は、自分にも自信が持てないから。オレには野球しかないという思いをずっと引きずっていくわけですよね。野球しかないということはないんです。その人の考え方がそこに偏っているだけで、気の持ちよう一つなんだと思うんです。
中根:そうはいっても、実際にお店を開いてみると、いろいろ問題点も出てくる。10年8月に開店した後、店の名前から内装から全部変えたと聞きましたが。
水尾:そうです。変えたんですよ。最初、半年ちょっとで変えたんですよ。
中根:最初の名前はなんていうんだっけ。
水尾:「ケチャップ」です。カリフォルニアにケチャップという名前のレストランがあって、アメリカに行っていた時に、それをたまたま見て、覚えやすくていいね。じゃあ、オレが店出すときには、ケチャップにしようと。1回聞いたら、忘れないだろうなという考えだったんですけれど、やってみると、「ケチャップ屋さんなの?」という声があったり。入りやすい気軽に人が集まるような店を作った方がいいよ、アドバイスしてくれる人もいて、そういう名前、店の雰囲気づくりをしたところもあったんですけれど、それが、レストランというよりもカフェという印象を与えたみたいで、お茶を飲みに来てくれても、誰も食事を摂らない、そんな感じだったんです。僕のやりたいことが全然できていないし、商売としては全然ダメだった。もう一度、やり直すしかないな、と。
(左)水尾嘉孝氏 (右)中根
中根:半年過ぎて、これではいけないと、言うことで。
水尾:売り上げの数字を見て、ダメだと思ったんです。もう、閉めるか、変えるか、どちらかしかない。追い詰められました。どうしよう。変えるんだったら、どう変えるか、それをずっと考えていて。結論としては、こういう風にしたいからと融資をお願いして、通してもらえたんで、今もお店があるということですね。 水尾氏と(左)水尾嘉孝氏 (右)中根
中根:今のトラットリア・ジョカトーレという名前の意味は。
水尾:トラットリアは気軽なレストラン、ジョカトーレは選手、プレーヤーという意味です。
中根:やっと、自分のやりたい店に近づいてこれたという感じなんですか。
水尾:最初の時は、僕も勉強不足だったと思うんですけれど、デザイナーの考えを通しすぎた。できてみると、なんか自分の持っているイメージと違うな、という感じはあったんですけれど、予算内でやるとこうなるんですというようなことを言われて、仕方なく、それで行ったんですけれど。信頼している方から、よかろうが悪かろうがここは「水尾商店」なんだから、すべて自分で決断しなければならない。中途半端で妥協して他人任せにするから失敗するんだ、と言われまして。その改装の時は、しっかりと勉強して、自分の思うようにやりました。ある程度、自分の考えていたコンセプトでできていると思っています。
中根:まさに水尾商店になったということですね。で、一日はどういうスケジュールで動いているの
水尾:朝は、ケーキを焼いたり、パンを焼いたりするんで。ほかの仕込みとの兼ね合いもあるので、7時くらいには店に来ます。ランチをやって、2時半とか3時でいったん閉めて、そこから5時まで休憩、その間にやることがあればやる。夜の仕込みとかもある。ただ、朝の内でできることはやっていますので、少しはゆっくりできるかなという感じですね。夜は営業して、片づけて終わり。夜は10時半までの営業です。
中根:ほとんど寝る暇ないね。
水尾:ま、でもそんなもんですよね。
中根:自由が丘と聞くと、勝手なイメージで申し訳ないけれど、セレブと言われているような人が多いのかなと思うんですけれど、お客さんにもそういう方が多いんですか。
水尾:お客さんがセレブかどうか、わからないですよね(笑)。そういうことよりも、地元の方が多いです。地元の人は、地元以外からのお客さんが遊びに来られるようなお店には、あまり行かない。どちらかというと、一見さんは入りにくい、知る人ぞ知るといった感じの店の方を選ばれる。店の中で子供さんたちがワーワー騒いでいるようなお店は敬遠されるし、ゆっくり食事を楽しまれるという方が多い。僕の店も、そういう方が来てくださっていると思います。
中根:では、今でも地元のお客さんの方が多い。
水尾:そうですね。宣伝も全然打っていないですし。ぱっと、通りすがりで入ってこられるお客さんは少ないと思います。
中根:場所的にも、駅から近いんだけれど、ちょっと路地に入って、奥まった感じのところにある。それが逆にいいのかも。落ち着いているけれど、目立つかどうか、目を引くかどうかと言われたら、そうではない。
水尾:そうですね。知っていないと、なかなかここまでは入ってこない。そんなところだと思います。
Giocatore… イタリア語で選手の意味。
中根:料理を始めた時の苦労などは。
水尾:包丁ですね。僕、左利きじゃないですか。左でも、一人でやる分にはよかったと思うんですけれど、最初に働かせてもらった店で、右でやれ、と。というのは、大きな店で、例えば、右利きの人がやっている途中で、それをやっておいてくれとか声をかけられて、引き継ぐ。そうすると、全部逆になるんですよね。右利きの人は右側から切っていきますよね、左利きは、当然左から切っていくことになる。そういう問題があるから、だったら右利きでそろえたほうがいい。お店全体が、いわば『右利き仕様』です。でも最初慣れないうちは、自分の指を切ってしまうような怖さがあって、本当に困りました。
中根:なるほど、それは大変だね。どうやって克服したの?
水尾:どうもこうもないです。慣れるしかない。たくさん切るしかない。食材を切るともったいないんで、粘土みたいな、そういうトレーニング用の材料があるんですけれど、それを切って、切ったらまた固めて切る。その繰り返しでした。3、4カ月、授業が始まる前にずっとそれを練習していました。ある時、それを見た料理学校の先生が、40年近くやられているベテランの先生なんですけれど、自分が見た中で一番練習している生徒だと、ほめてもらったんですよ。それが、その時できたという証明ではないんですけれど、ちょっと安心しましたね。間違ったことはやっていないんだという気持ちになれました。まあ、やはり野球選手だったわけで、負ければ悔しいもんで、できるまで延々とやるんです。へたくそだから頑張る、それは当たり前のこと、何も特別なことではない、野球やっているときはそうだったですから、普通に、そう思ってやっているんですけれど、あたり前のことがここではそれなりに評価される、それで通る可能性があるんだということがわかってホッとしました。
中根:自信とまではいかなくても、ちょっと明かりが見えたという感じかな。野球選手のメンタリティが生きたという感じだね。
水尾:そうですね。これでやっていけるという気持ちにはなりました。
中根:もう一つ、すごいのは、毎日いろんな料理をフェイスブックで紹介しているじゃない。「今日は◯◯のパスタです」って感じで。
水尾:朝、ケーキとかパンを焼いて、少し時間がとれた時に、試作品みたいな感じで、いろんな料理を作ってみて、それを朝食代わりにしているんですよ。それを友人が、せっかく作っているんだったら、フェイスブックで紹介してみたら、店のPRにもなるし、と言われて、始めたんですけれど、実は、辞めるタイミングを失ったという感じもあります(笑)。
中根:よく続いているよね。
水尾:始めて2年半になりますね。もう、そろそろきついんで、頃合いを見て、せめて1週間に1度くらいにさせてもらおうか、と考えているんですけれど(笑)。
中根:なんか、そんなに楽しそうに話してくれる水尾に、いやなことを思い出させるようで悪いんだけれど、ドラフト1位でプロ野球に入って、最初結果が出なかったじゃない? いやな思いとか、プレッシャーとかあったんじゃないかと思うけれど。
水尾:いや、すごくありましたよ(笑)。ご飯を食べに外に行っても、ちょっと離れたテーブルでご飯食べている人が、「いいよな、働きもしないのに、金だけもらって」みたいなことを言っているのが聞こえてくるし。
中根:聞こえるの。
水尾:悔しいですけれど、それはまあしょうがないな、と。それなりの注目を浴びて、期待されて入団したのに、結果を出せなかったわけですから、チームのファン、野球ファンの方に言われるのは、それはしょうがない。でもね、チームの中でも、ある先輩から、いろいろ嫌味を言われたことがあった。それは本当に頭に来ましたね。今だから言えるけれど(笑)。
中根:まあ、どんな形にしろ、プロ野球界でも毎年100人近い人がユニフォームを脱ぐ。野球界だけでなく、すべてのスポーツ界で、現役を退く人がいるわけです。そんな、セカンドキャリアに臨む人たちに、水尾が考えてきたこと、実践してきたことを含めて、メッセージを送ってもらえないでしょうか。
水尾:今、店を持って、自分もやらなければいけないわけですが、一方で人を使う立場にいて、どんな人間を採りたいか、どんな人間と働きたいかと言ったら、実は「能力の高い人間」ではなく、「どれだけ頑張れるか。あきらめずに頑張り続けられるか」、その気持ちを持っている人間を、求めています。最初から能力を持っていてできるかと言ったら、そんなヤツは逆にすぐに頭打ちになって、そこそこしかできないものです。でも、能力がなくても、頑張れる人間は成長していけると思うし、一緒に成長できるから、やっていて楽しい。例えば、野球でも、頑張るということが当たり前にできるくらいじゃないと、プロまでは行けないですよ。ということは、それなりのレベルにまで行けた人間というのは、“いいもの”を、間違いなく、蓄積できている。あとは、考え方。野球しかない、ではなくて、今まで野球をやれてよかった。じゃあ、これを生かして、次に行こうと、切り替えられるかどうか。それだけだと思います。
中根:野球で培った人脈とか、能力ではなくて、野球に注ぎ込んだ情熱を、今度はどこに持っていくかということだね。
水尾:一つのことに集中できたんです。その情熱があれば、違う世界に行ったって生かされる。その情熱は、野球だけでしか生かされないというものではないはずなんです。
中根:ずっと闘い続け、努力を続けた水尾の言葉だけに重みがあるなあ。今日は本当にいい話を聞けました。ありがとうございました。