_コラム

vol.55 復刻ユニフォームを着るのが嫌で登板拒否?

SHARE 
  • 連載一覧へ

    柳本 元晴 Yanamoto Motoharu
    フリー・スポーツ・ジャーナリスト
    立教大学卒業/週刊ベースボール元編集長

    広島県出身。1982年に(株)ベースボール・マガジン社に入社。週刊ベースボール編集部にて、プロ野球、アマチュア野球などを中心に編集記者を務める。91年に水泳専門誌(スイミング・マガジン)の編集長に就任。92年バルセロナ、96年アトランタ五輪を現地にて取材。98年、創刊されたワールド・サッカーマガジン誌の初代編集長を務めたのち、99年3月から約10年間にわたって週刊ベースボール編集長を務める。2014年1月に(株)ベースボール・マガジン社を退社。フリーとしての活動を始める。2012年からは東京六大学野球連盟の公式記録員を務めている。

    斬新さでは群を抜いていたあの時のホワイトソックスのユニフォーム

     イチローの3000安打のカウントダウンが進むさ中、ドジャースでは前田健太がカージナルスとの対戦でセントルイス、ブッシュメモリアルスタジアムのマウンドに上がった日(7月23日)、シカゴでは、ホワイトソックスのエース、セールが登板を“ドタキャン”したことが話題になっていた。
     しかも理由が、チームからの発表によると、ケガや体調を悪くしたということではなく、その日着る予定だった復刻ユニフォームを着心地が悪い、着たくないと拒否。あげく、自分のユニフォームのみならず、複数のユニフォームを切り刻んでしまったということだから、少し驚いた。
     事情を調べると、セールは、もともとフロントと折り合いが悪かったということだから、復刻ユニフォームを着ることそのものが不満というよりも、単にイライラを募らせるきっかけになっただけという気もするが、少なくとも、復刻ユニフォームがネガティブなとらえ方をされたのは事実のようである。

     この日、ホワイトソックスが切る予定だったユニフォームは、1976年のデザインだったという。
     野球のユニフォームは当時、ダブルニットという素材が開発され、伸縮性やカラフルな色使いも可能になり、日米を問わず、大きく様変わりをした時代でもあった。
     プルオーバー式の上着や、ベルトの代わりに伸縮性の強いゴム素材を取り入れて、「ベルトレス」のユニフォームが出たのもこの時代。記憶が正しければ、日本でもその2、3年前から、半数以上のチームがそのベルトレスのユニフォームを採用した。
     それはメジャー・リーグでも同様で、たとえばヒューストン・アストロズが上着をレインボー・カラー(実は7色を使っておらず4色のみ)の横じまのユニフォームを着たりもした。大投手、ノーラン・ライアンも所属していた時代で、皆さんもライアンのニュースが出るたびに現役時代の姿としてご覧になったことがあるだろう。
     
     そして、今回の76年のホワイトソックスである。
     まず、野球では珍しい大きな幅広エリ付き。色は、ミッドナイトブルー(限りなく黒に近い紺)と白。そして、極め付きは「短パン」の採用。もちろん、短パンか長パンかは、選ぶことができたらしいので、この日の復刻ユニフォームが短パンだったのかどうかは知らないが、とにもかくにも、それくらい奇抜なユニフォームだったということは間違いない。
     話題には事欠かなかっただろうが、実際にこのユニフォームは不評で、1年あまり使用したのち、“お蔵入り”となった。
     セールが嫌がった理由が、この独創的でかつ、かつて評判が悪かったユニフォームだったからか、どうかは知らないが、不平を言動で表すには、ある意味“もってこい(?)”だったのかもしれない。

    チェック柄にジーンズ柄。その奇抜さに驚かされることも多い

     昨今は、メジャーでも日本でも復刻ユニフォームや斬新なデザインのユニフォームを時折見ることができる。

     季節のイベントに合わせたり、交流戦に合わせたりと、タイミングを見ながらの仕様となってはいるが、野球ではこれまで使われることのなかったチェック柄のユニフォームをオリックスが採用したり、一昨年は広島がジーンズ柄のユニフォームに身を包んだこともある。
     あくまで、限定ユニフォームなので、遊び感覚であったり、話題性を提供したりという意味で採用しているので、それを、目くじらを立てて、どうのこうのと論評するのはおかしいとは思うが、あまりに奇抜なユニフォームは、確かにちょっとどうかなと、疑問を感じることもある。
     
     ちなみに、ごく私的なユニフォームの思い出を一つ。
     高校時代、私が主将となった2年の秋にユニフォームを新調することになった。当時の監督が、どうせなら独特で斬新なものを、と左肩から真っすぐ、裾まで太いラインを2本入れようとしたり、他にもいろいろ考えてみた。今だったら、そうでもなかったかもしれないが、当時、“既成品”にないことをしようとすると、金額が跳ね上がるとわかり、予算の問題で却下。結局、なんの変哲もない、「よくあるユニフォーム」に落ち着きました。
     斬新なユニフォーム、着てみたかったようでもあり、そうでないようでもあり。微妙な気持ちが、今も私の心に残っている。

    バックナンバーはこちら >>

    関連記事